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紫式部 紫式部年表



白鬚神社
近江の厳島
紫式部ゆかりの地

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白鬚神社


 白鬚神社(しらひげじんじゃ)は、2000余年前の垂仁天皇25年の創建と伝えられる近江国最古の大社。

 琵琶湖畔に鳥居を浮かべることから「近江の厳島」とも。

 祭神は、猿田彦命(さるたひこのみこと)。

 現在の社殿は、豊臣秀吉の遺命により子・秀頼が片桐且元を奉行として造営したもの。

 秋季大祭の「なる子まいり」は、数え年2歳の子どもに名を授け、その名を3日間呼ぶと子どもの無事な成育と延命長寿の加護が頂けるのだという。



白鬚神社
本殿は重要文化財

 本殿は、豊臣秀頼の命により片桐且元を奉行として播磨国の大工の手で建てられたと伝えられている。

 拝殿は1879年(明治12年)の再建。



白鬚神社
若宮神社

 若宮神社も豊臣秀頼による再建。





白鬚神社湖中大鳥居
リンクボタン湖中大鳥居

 伝説の湖中大鳥居は、白鬚神社のシンボル。





白鬚神社紫式部歌碑
リンクボタン紫式部歌碑

 境内には、父の藤原為時に同行して越前へ下る途中の紫式部が詠んだ

 「三尾の海に 網引く民の てまもなく 立居につけて 都恋しも」

 の歌碑が建てられている。



紫式部公園
リンクボタン紫式部公園
(越前市)
紫式部像
リンクボタン紫式部像
(紫式部公園)


 紫式部は、娘時代の2年間を父・藤原為時の任国・越前で過ごした。

 越前市には紫式部公園が整備され、金色の紫式部像が建てられている。



琵琶湖で紫式部・源氏物語





~創建者の倭姫命は初代斎宮?~

 白鬚神社の創建者は、垂仁天皇の第四皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)といわれている。

 『日本書紀』によると・・・

 倭姫命は、天照大神を伊勢の地に祀ったとされ、初代の斎王(斎宮)とされる。
 
 また、甥の日本武尊に草薙剣を与えたとされている。



斎宮邸跡
リンクボタン斎宮邸跡
(京都)
野宮神社
リンクボタン野宮神社
(京都)


 斎王(斎宮)は、伊勢神宮に仕えた巫女。

 神話では、倭姫命が初代の斎宮ともされるが、制度上の初代は天武天皇の皇女・大来皇女(おおくのひめみこ)。

 京都の西京高校は、斎宮邸の跡地の一つとされている。

 野宮神社は、斎宮が身を清めた野宮に鎮座する社。



建部大社
リンクボタン建部大社
(大津市)
礒崎神社
リンクボタン礒崎神社
(米原市)


 建部大社は、116年(景行天皇46年)に日本武尊の妃・布多遅比売命が日本武尊を「建部大神」として祀ったのが始まり。

 礒崎神社は、伊吹山の悪の神を征伐に行った日本武尊が亡くなった地と伝えられる磯の地に鎮座する社。





~一直線上に並ぶ神社~
(宗像大社を模した?)


奥津嶋神社
リンクボタン奥津嶋神社
日牟禮八幡宮
リンクボタン日牟禮八幡宮


 航海安全の神として信仰されてきた福岡県の宗像大社は、沖ノ島の沖津宮・筑前大島の中津宮・九州本土の辺津宮からなる神社。

 その特徴は、三宮は一直線上にあること。

 琵琶湖では・・・

 白鬚神社、沖島の奥津嶋神社、そして、東岸の日牟禮八幡宮は一直線上にある。





~平泉へ向かう源義経も拝んだ。~

 『義経記』によると、壇ノ浦の戦い後、源頼朝と不仲となってしまった源義経は、都を逃れ、逢坂の関を越えて大津から琵琶湖を渡って奥州平泉へ向かった。

 義経は唐崎の松比叡山日吉大社、堅田浦を眺めながら琵琶湖の西岸沿いを進み、白鬚神社を拝みながら今津浦を過ぎて海津浦に到着したのだという。



源義経も逗留した越前武生










白鬚神社
白鬚神社

滋賀県高島市鵜川215

近江高島駅から徒歩40分
予約乗合タクシー「鵜川線」で「白鬚神社前」下車



紫式部の越前国下向
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琵琶湖で
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