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はらへどの 神のかざりの みてぐらに うたてもまがふ 耳はさみかな |
「祓戸の神にお供えする御幣と見違えるほどの紙の冠を耳にはさんだりして・・・」 3月1日、賀茂川の河原に出ると・・・ 隣の車の法師が紙の冠をして陰陽博士を気取っているのを憎らしく思って詠んだ歌。 紫式部が越前に下向する年に詠まれたという説がある。 祓は罪や穢れを除き払う儀礼で、平安時代には宮中で6月と12月に大祓が盛んに行われた。 三月上巳の日にも祓が行われ、『源氏物語』~須磨の巻~では光源氏が浜で祓をしている。 |
上巳の節句~雛まつりは3月上巳の邪気祓いが起源~ |
陰陽師には、安倍晴明のような官人である陰陽師と、法師の格好をした民間の陰陽師がいた。 1009年(寛弘6年)正月に発覚した「敦成親王・藤原彰子・藤原道長の呪詛事件」では、法師陰陽師の円能が実行犯として捕らえられている。 |
996年(長徳2年)、紫式部は越前守に叙任された父の藤原為時に同行して越前国へ下向。 紫式部公園は、紫式部が越前国に下向したことを記念して整備された公園で、平安朝式庭園が再現されている。 |
紫式部が上賀茂神社の片岡社で詠んだ 「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし」 も越前下向前に詠まれたとされる。 |
関守稲荷神社は、光源氏が須磨に蟄居していた際に巳の日祓をした場所とみなして「巳の日稲荷」とも呼ばれている。 |
光源氏が3月の上巳の日に浜で祓をしていると、にわかに嵐となり、連日のように豪風雨が続き、紫の上からは都でも悪天候が続いていると伝えられる。 そんな中、亡き桐壺帝が夢枕に現れ、住吉の神(住吉大社)の導きに従い須磨を離れるように告げる。 住吉大社は和歌の神として知られる。 |
唐崎神社は日吉大社の摂社で、古くから祓の霊場として知られた社。 『源氏物語』では、五節の舞姫だった源良清の娘が祓を行っている。 |
五節の舞姫~新嘗祭・大嘗祭で舞った舞姫と貴族~ |
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