鎌倉手帳(寺社散策)

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大 祓(おおはらえ)
〜鶴岡八幡宮〜

編集:yoritomo-japan.com








大祓


 「大祓式」(おおはらえしき)は、6月30日と12月31日の年2回、日々の生活の中で知らず知らずのうちに犯してしまった罪や穢れを祓い去り、心身ともに清らかに立ち返ることを祈る神事。

 大祓は、701年(大宝元年)の大宝律令で宮中の年中行事として定められたのがはじまりで、朱雀門前で行われていたのだといいます。



大祓


 大祓には誰でも参列できます。

 参列者は、麻と紙を小さく切った「切麻」(きりぬさ)を体に撒いてお祓いしてもらいます。

 参列ができない者は、人の形に切り抜いた紙「人形」(ひとがた)に、氏名、年齢を書いて、息を吹きかけたり、体をこすったりして、人形に罪や穢れを移し、当日までに鶴岡八幡宮に届けておけば、お祓いをしてもらえます。



人形
人形
(ひとがた)









〜茅の輪くぐり〜
(夏の祓)

 6月の大祓は、昔から「夏越祓」(なごしのはらえ)と呼ばれます。

 昔の夏は陰暦の4、5、6月をさし、6月(水無月)に夏が終わることから「水無月祓」(みなづきはらえ)とも呼ばれてきました。



茅の輪くぐり



 6月の「大祓」では、舞殿前に茅萱(ちがや)で作った「茅の輪」が設けられます。

 茅萱は邪気を祓い除けるといわれています。

 この茅の輪を左回り、右回り、左回りの順で三回くぐって、正月からの半年間の罪穢を祓い、無病息災を祈ります。

 鶴岡八幡宮では、8月に行われる夏越祭(なごしさい)でも「茅の輪くぐり」が行われます。



茅の輪くぐり
神職に続いて参列者も。





〜なぜ茅の輪をくぐるのか?〜


粽(ちまき)
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(蘇民将来の伝説)


 京都の八坂神社の祭礼「祇園祭」で授与される(ちまき)は、厄病・災難除けのお守り。

 スサノオノミコトと蘇民将来の伝説が残されたお守りですが、多くの神社で行われる「茅の輪くぐり」は、この伝説を起源とする信仰なのだといわれています。

 遠い昔のこと。

 嫁探しの旅に出たスサノオ。

 大金持ちの蘇民巨旦(そみんごたん)に一夜の宿を求めますが断られてしまいます。

 そんなスサノオを貧しいながらも持てなしたのが兄の蘇民将来。

 スサノオは「あなたの子孫は末代まで私が護ってあげよう」 と言って蘇民将来に茅の輪を渡します。

 その後、疫病が流行った時・・・

 蘇民将来はその茅の輪を腰に巻いていたおかげで助かり、弟の蘇民巨旦は一家全員死んでしまったそうです。

 ということで、茅の輪は疫病を退散させるお守りでした。

 それが次第に大きくなって、くぐって無病息災を祈願するようになったのだとか・・・。



祇園祭





〜北条氏邸の呪符〜


蘇民将来子孫家也急々如律令
リンクボタン蘇民将来子孫家也急々如律令


 北条泰時北条時頼の邸跡から出土した木札(呪符)。

 北条氏も屋敷の入り口に魔除けの札を打ち付けていたようです。





〜上巳祓と紫式部〜

 上巳祓は3月3日に邪気を祓う神事。

 平安時代になると宮中などでは、人形に災いや穢れを移して海や川に流すようになり、これが「ひな祭り」の原型ともいわれています。

 紫式部『源氏物語』の主人公・光源氏は、須磨に蟄居した際、浜で上巳祓を行っています。

 『紫式部集』には、賀茂川の河原にいた法師が紙の冠をつけて陰陽博士のようにしているのが憎らしくて詠んだ歌が収められています。


リンクボタン上巳の節句〜雛まつりは3月上巳の邪気祓いが起源〜

リンクボタン紫式部の歌〜法師が陰陽博士を気取っているの見て:上巳祓〜





大祓
6月30日
午前11時・午後1時
午後3時・午後5時



大祓
12月31日
午前11時・午後1時
午後3時





大祓

 大石段の下に自祓所が設置され、いつでもお祓いができるようになっています。









 大祓式は、鎌倉宮江島神社などでも行われています。


リンクボタン鶴岡八幡宮
鎌倉市雪ノ下2−1−31
0467(22)0315


リンクボタン鎌倉宮
鎌倉市二階堂154
0467(22)0318

午後3時より


リンクボタン江島神社
藤沢市江の島2−3−8
0466(22)4020

午後4時より



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