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三宝院は、醍醐寺の塔頭。 1115年(永久3年)、醍醐寺第14世座主・勝覚が創建した灌頂院が始まりで、のちに仏法の三宝にちなんで改名。 1143年(康治2年)には鳥羽上皇の御願寺となった。 室町期には歴代足利将軍から信仰され、「黒衣の宰相」とも呼ばれた25世満済は、1396年(応永3年)に足利義満の猶子となって醍醐寺座主に任じられた。 以後、三宝院主が醍醐寺座主を兼ねるようになったのだという。 応仁の乱で焼失してしまうが、豊臣秀吉の信頼が厚かった醍醐寺金剛輪院の院主・義演が三宝院32世を名乗り、金剛輪院を三宝院に改めた。 |
葵の間 |
襖絵には、下鴨神社から上賀茂神社へと向かう葵祭の行列が描かれている。 |
秋草の間 |
襖絵には、秋の七草の風景が描かれている。 |
勅使の間 |
襖絵は、桃山時代のもので長谷川等伯の一派が描いたという竹林花鳥図。 |
朝廷からの使者を迎えるための勅使門(国宝)。 |
平安時代の寝殿造りの様式を取り入れた建築物(国宝)。 下段・中段・上段の間からなり、下段の間は「揚舞台の間」とも呼ばれ、畳をあげると能舞台になる。 中段の間、上段の間は下段の間より一段高く、能楽や狂言を高い位置から見下ろせるようになっている。 上段の間の襖絵には、長谷川等伯一派の作といわれる四季の柳が描かれ、下段の間の襖絵には石田幽汀の「孔雀と蘇鉄」が描かれている。 |
三宝院庭園は、1598年(慶長3年)に豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭で、国の特別史跡・特別名勝。 この2つが重複指定されているのは、小石川後楽園、浜離宮恩賜公園、金閣寺、銀閣寺、平城京左京三条ニ坊宮跡、厳島、毛越寺庭園、一乗谷朝倉氏庭園と醍醐寺三宝院の9箇所のみ。 |
亀の甲羅のように見える島。 島を覆うのは五葉松で、樹齢600年以上といわれ、亀の「静寂」を表している。 |
亀島の西隣にある島。 島に植えられている五葉松。 向かって左側の石橋が鶴の首にあたり、今にも鶴が飛び立とうとしている「躍動感」を表している。 |
向かって左の石は、賀茂川の「流れの速いさま」を、中の石は「川の淀んだ状態」を、右の石は「川の水が割れて砕け散る様子」を表している。 |
874年(貞観16年)創建。 現存する堂宇は、桃山時代以降のものがほとんどだが、五重塔は952年(天暦6年)建立で府内最古の木造建築物。 |
京都市伏見区醍醐東大路町22 京都市営地下鉄東西線「醍醐駅」下車 |
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