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東福寺の本堂は、1881年(明治14年)に仏殿と法堂が焼失した後、1934年(昭和9年)に仏殿兼法堂として再建された重層入母屋造の建物。 高さ25.5メートル、間口41.4メートルという大堂で、昭和の木造建築中最大。 創建当初の仏殿には、15メートルの釈迦仏像が安置され、脇侍の観音・弥勒両菩薩像は7.5メートルもあって、新大仏寺として喧伝されていたという。 1319年(元応元年)の火災によって当初の釈迦仏像は焼失するが、その後再興され、足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らにる保護修理も加えられ、兵火をうけることもなく明治を迎えた。 しかし、残念なことに1881年(明治14年)に再び焼失してしまった。 東福寺には、焼失した像の左手部分が保管されている(長さ2メートル)。 |
※ | 東福寺は、1319年(元応元年)、1334年(建武元年)、1336年(延元元年)の相次ぐ火災により大部分を焼失するが、直ちに復興に着手し、1346年(貞和3年)には、前関白一条経道によって仏殿が再建され完全な禅宗寺院としての寺観を整えていた。 |
本堂には、本尊の釈迦如来立像、脇侍の摩訶迦葉尊者・阿南尊者立像、四天王像が安置されている。 本尊の釈迦三尊像は、1881年(明治14年)に仏殿が焼失した際、万寿寺から移された像で、もとは三聖寺に安置されていたものだという(鎌倉時代の作)。 |
天井の蒼龍図は、日本画家の堂本印象作。 |
3月14・15・16日の涅槃会では、「大涅槃図」がご開帳される。 大涅槃図は室町時代初期の画僧、吉山明兆の作。 涅槃図に描かれることが少ない猫(ネコ)が描かれていることで知られ、「魔除けの猫」と呼ばれている。 泉涌寺の涅槃図・本法寺の涅槃図とともに京都三大涅槃図の一つに数えられる。 |
涅槃図は、仏教の開祖お釈迦さまの臨終の様子を描いたもの。 お釈迦さまの臨終には、多くの動物が駆けつけるのだが、ネコは昼寝をしていたらしい。 こんな話も・・・ 沙羅双樹の木に引っかかってしまった霊薬入りの巾着袋を、お釈迦さまのためにネズミが取りに行ったところ、ネコがそれを邪魔したため、お釈迦さまは生き返ることができなかった・・・ では、何故、東福寺の涅槃図にはネコが描かれているのか? 明兆が涅槃図を描こうとしたとき、一匹のネコが度々、絵具を咥えてきたのだという。 そして、赤い絵の具が足りなくなって困っていると、赤い土絵の具のある谷に連れて行ってくれたという。 描かれているのは、そのネコの姿だという。 ネコの罪は重いので、本来、仏の慈悲に浴せないものではあるけれども、涅槃の絵具を持ってきた功徳によって加えられたのだとか。 |
九条道家によって創建された東福寺は、奈良の東大寺と興福寺の「東」と「福」をとって寺名としている。 京都五山の第四位の格式を誇った寺。 |
京都市東山区本町15丁目778番地 JR東福寺駅から徒歩5分 |
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