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円覚寺では、毎年10月3日に開山無学祖元(仏光国師)の大法要が行われます。 無学祖元は、中国宋の禅僧。 1278年(弘安元年)7月24日、八代執権北条時宗が師としていた建長寺の蘭渓道隆が亡くなります。 時宗は新たな師を求め、蘭渓道隆の弟子の無及徳詮と傑翁宗英を宋へ派遣します。 そして、迎えられたのが無学祖元です。 1279年(弘安2年)8月20日に来日した無学祖元は、建長寺の第五世住持となります。 時宗の新たな師として鎌倉幕府御家人からも信仰を受け、特に蒙古襲来(元寇)に際しては、時宗の政策に大きな影響を与えました。 1282年(弘安5年)、時宗は、蒙古襲来(元寇)の戦没者を弔うため円覚寺を建立し、師の無学祖元を開山として迎えます。 それから2年後の1284年(弘安7年)4月4日、時宗が亡くなります。 無学祖元は、時宗死後も鎌倉にあって、1286年(弘安9年)9月3日、建長寺で示寂し、建長寺に葬られました。 諡号(しごう)は、仏光国師。 頂相彫刻「木造仏光国師坐像」は国重要文化財です。 |
無学祖元の死後、建長寺には「正続庵」が創設されますが、1335年(建武2年)、後醍醐天皇の勅命で夢窓疎石が円覚寺の舎利殿を塔所としています。 参考:建長寺塔頭正統院 |
開山忌は10月3日午前10時から。 一山の僧侶が無学祖元の塔所正続院の舎利殿に集まり、法会が行われます。 |
舎利殿は正続院の昭堂で鎌倉で唯一の国宝建造物。 納められている仏舎利は、源実朝が宋より請来したものと伝えられています。 |
舎利殿での法会の後、仏殿に移動して盛大な法要が営まれ、4年に一度の閏年には、開山の「無学祖元像」が輿に乗せられ境内を巡堂します。 |
法要が終わると、方丈で精進料理による会食が行われます。 古式礼法にそった食事で、中央に無学祖元の画像を掲げて、「四つ頭」の作法によって厳粛に行われます。 料理は「九椀斎」と呼ばれる禅林の最高の精進料理ということです。 |
4年に一度の閏年の開山忌では、無学祖元の木像が輿に乗せられて、浴室・山門・選仏場を巡った後、仏殿に戻ります。 |
北条時宗は、蒙古襲来(元寇)の危機に無学祖元のもとを訪れ、「莫妄想」(まくもうそう)という言葉をいただきました。 「妄想する莫かれ」ということですが、時宗は、「くよくよ考えず今できることを精一杯にやる」ということを決心し、蒙古襲来に立ち向かったということです。 1282年(弘安5年)、元寇の戦死者を供養するために円覚寺が建立され、無学祖元が住持します。 |
臨刃偈〜円覚寺開山・無学祖元(仏光国師)の逸話〜 |
洪鐘祭は、60年に一度行われる円覚寺の弁財天の祭礼。 |
2023年10月29日、2020年から延期となっていた洪鐘祭が開催されました。 |
無学祖元は、北条氏をはじめとする鎌倉武士の教化に努め、我が国臨済宗の基礎を確立します。 法嗣に高峰顕日や規庵祖円がいて、五山派の主流となった夢窓疎石は高峰顕日の法嗣です。 |
鎌倉市山ノ内409 0467(22)0478 JR北鎌倉駅よりスグ |
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