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元軍による二度目の侵攻を避けられない情勢となった1281年(弘安4年)。 この年の正月、苦悩の北条時宗が師の無学祖元を訪ねると、祖元は紙片に「莫煩悩」(まくぼんのう)という三文字を書いて時宗に渡した。 「一切の迷いの心・何かを満たそうと望む心を捨て、今為すべき事に集中し、信ずるところを行え!」 という意味であったという。 「蒙古の襲来は、大風が掃蕩してくれるので心配ない」 との説明が加えられたとも伝えられている。 そして10月、元軍が襲来(弘安の役)。 「莫煩悩」の文字を師より受けた時宗は、「喝」(かつ)という言葉を告げて、自分の決意を示したと伝えられている。 |
常立寺の元使塚は、元国(蒙古)の使者として日本に派遣され、龍ノ口で処刑された杜世忠ら5人の供養塚。 |
建長寺 |
円覚寺 |
北条時宗の心の支えとなった無学祖元は、中国・宋の禅僧。 時宗の要請で来日し、建長寺五世となり、円覚寺の開山となった。 |
臨刃偈〜円覚寺開山・無学祖元(仏光国師)の逸話〜 |
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