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建長寺の7月23・24日は、開山・蘭渓道隆(大覚禅師)の大法要。 仏殿に安置された大覚禅師の坐像が輿に乗せられて法堂に遷され、多くの僧侶が一堂に会し、荘厳な雰囲気に包まれます。 蘭渓道隆(大覚禅師)は、中国(宋)の禅僧で、北条時頼によって建長寺の開山に迎えられました。 死後、後宇多天皇より初の禅師号を賜っています。 |
※ | 建長寺開山忌は、8月に行われていましたが、平成26年より7月に変わりました。 |
蘭渓道隆は、1246年(寛元4年)、宋で修行していた泉涌寺の月翁智鏡から日本の話を聞いて来日しました。 数年間は京都にいたようですが、活躍の場を求めて鎌倉に下向し、壽福寺に寓居します。 それを知った北条時頼は、道隆を常楽寺に移して禅の道場を開きました。 そのため、常楽寺は「建長寺の根本」といわれています。 1253年(建長5年)、時頼は建長寺を創建すると道隆を開山に迎えています。 仏殿前のビャクシンの古木は、道隆お手植えとされ、幾多の災害にも耐えてきました。 |
道隆は、元(中国)の密偵との疑いをかけられ伊豆に逃れた時期もあります。 そのときに住したのが修禅寺で、真言宗から臨済宗に改宗しました(現在の修禅寺は曹洞宗。) その後、壽福寺、禅興寺(現在は支院の明月院のみ。)などに住し、京都建仁寺にも住しました。 その間、叡山僧徒の反抗にあって甲斐(東光寺)に流されたこともありましたが、1278年(弘安元年)4月、再び建長寺に戻り、その年の7月24日に没しています。 没後、後宇多天皇より「大覚禅師」の号を賜わりました。 我が国初の「禅師号」です。 |
泉涌寺 (京都) |
壽福寺 (鎌倉) |
常楽寺 (鎌倉) |
建長寺 (鎌倉) |
明月院 (鎌倉) |
修禅寺 (伊豆) |
建仁寺 (京都) |
建仁寺西来院 (京都) |
東光寺 (甲府) |
建長寺西来庵 (鎌倉) |
頂相と呼ばれる肖像画「蘭渓道隆像」、修行をする上での心構えを記した道隆の墨蹟「法語規則」、道隆の銘文が刻まれた梵鐘(鎌倉三名鐘)は国宝に指定されています。 梵鐘は、いつでも観ることができますが、「蘭渓道隆像」や「法語規則」は、11月に行われる「宝物風入」のときに観ることができます。 |
方丈では、「文永・弘安の役」(元寇)とその後の戦没者の慰霊法要が行われます。 一般の人も自由に参加できる施餓鬼会です。 |
鎌倉市山ノ内8 0467(22)0981 JR北鎌倉駅より徒歩15分 |
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