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建長寺創建当初の仏殿は、左右に土地堂(つちどう)と祖師堂を従えたものだった。 現在の仏殿は、1647年(正保4年)、芝増上寺の徳川二代将軍秀忠夫人(崇源院)の御霊屋が移築されたもの(1628年(寛永5年)の建築物・国重文)。 崇源院御霊屋の造替の際に譲り受けたのだという。 内部は、すべて漆塗で、華麗な装飾が施されている。 崇源院は、織田信長の妹お市の方と浅井長政との間に生まれ、姉は豊臣秀吉の側室となった淀の方。 娘には豊臣秀頼に嫁いだ千姫がいる。 千姫の養女は東慶寺二十世の天秀尼。 仏殿の他、方丈の正門であった唐門(勅使門)と西来庵の中門も崇源院の御霊屋にあったものが移築されている。 本尊は地蔵菩薩坐像。 |
本尊 地蔵菩薩坐像 |
日本最古 伽藍神像 |
建長寺のある谷は、もとは処刑場で地獄谷と呼ばれ、建長寺が建立されるまでは、地蔵菩薩を本尊とする心平寺があった。 そのため、建長寺の本尊は地蔵菩薩なのだという。 |
心平寺地蔵堂 (横浜三溪園) |
伝説の済田地蔵 |
横浜の三溪園には、心平寺の地蔵堂といわれる建物が移築されている(国重文)。 建長寺の仏殿脇段に置かれている地蔵菩薩坐像が心平寺の本尊と伝えられ、「心平寺地蔵」と呼ばれている。 済田地蔵は、心平寺地蔵に納められていたものと伝えられ、建長寺創建後は、本尊に納められていたものだという。 いずれも鎌倉二十四地蔵の一つ。 |
『新編鎌倉志』によると・・・ 建長寺の塔頭回春院の山の上には、源平合戦の葦屋浦の戦いで敗れた原田種直の子が作った地蔵尊が埋められ、原田地蔵と呼ばれていたのだとか・・・ |
建長寺の伽藍配置は、中国の径山(きんざん)万寿寺の伽藍配置を手本としたもの。 山門・仏殿・法堂が直線上に配置され、僧堂と庫院・浴室と西浄(便所)が左右対称に配置されていた。 |
建長寺は、五代執権北条時頼が宋の蘭渓道隆を招いて開いた日本で初めての「禅専門道場」。 臨済宗建長寺派大本山。 鎌倉五山の第一位。 |
鎌倉市山ノ内8 0467(22)0981 JR北鎌倉駅から徒歩15分 |
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