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建長寺のある谷は、もとは処刑場で地獄谷と呼ばれ、建長寺が建立されるまでは、その鎮魂のために創建された「心平寺」があった。 心平寺は、1249年(建長元年)の創建とされ、地獄谷で処刑された者の死後の救済のため地蔵菩薩を本尊としていた。 その後、地獄谷には北条時頼によって建長寺が創建されるが、心平寺の建立と密接な関係にあったのではないかと考えられている。 横浜の三溪園には、心平寺の地蔵堂といわれる建物が移築され、国の重要文化財に指定されている(1651年(慶安4年)の建築物)。 |
心平寺の本尊だった地蔵菩薩坐像。 心平寺が創建された1249年(建長元年)頃の造立と考えられている。 現在は、建長寺の仏殿脇壇に千体地蔵とともに安置されている。 鎌倉二十四地蔵の一つ。 |
北条時頼の頃、無実の罪で処刑されそうになった済田左衛門の身代わりとなったという地蔵菩薩の小像(像高5.3p)。 助かった済田はそして、その小像を心平寺地蔵の頭の中に納めたという。 その後、建長寺が創建されると、仏殿本尊の地蔵菩薩像の胎内に移されたと伝えられている。 鎌倉二十四地蔵の一つ。 |
心平寺地蔵と済田地蔵(okadoのブログ) |
建長寺背後の鎌倉アルプス尾根にある「十王岩」には地獄谷の伝説が残されている。 |
生糸貿易で財をなした原富太郎(三溪)の邸宅跡。 心平寺地蔵堂は、富太郎が1916年(大正5年)に鎌倉の心平寺跡にあった堂を自邸内に移築したもの。 三溪園では「天授院」と呼ばれ、原家の持仏堂として使用されていたという。 参考:東慶寺の旧仏殿も三溪園に移築されている。 |
建長寺は、五代執権北条時頼が宋の蘭渓道隆を招いて開いた日本で初めての「禅専門道場」。 臨済宗建長寺派大本山。 鎌倉五山の第一位。 |
鎌倉市山ノ内8 0467(22)0981 JR北鎌倉駅から徒歩15分 |
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