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東慶寺の仏殿は、「泰平殿」と呼ばれ、本尊は釈迦如来坐像(南北朝時代)。 本尊の左には二十世天秀尼像、右には開山覚山尼像と五世用堂尼像が安置されている。 |
覚山尼 (開山) |
用堂尼 (五世) |
天秀尼 (二十世) |
天秀尼の念持仏〜阿弥陀如来立像〜 |
泰平殿は、鎌倉尼五山第一位で廃寺となった太平寺の木造聖観音立像(土紋装飾が施された仏像)を安置するために建立された観音堂だったのだという。 観音堂は、明治期まで山門横にあったが、1907年(明治40年)に旧仏殿が横浜の三溪園に移築されると、現在のハナショウブ畑の奥に移築されて仏殿(本堂)とされた。 その仏殿は、1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊。 現在の仏殿(本堂)は、1935年(昭和10年)に建てられたもの。 |
旧東慶寺仏殿は、1634年(寛永11年)に千姫が寄進した建物(国重文)。 1907年(明治40年)に横浜の三溪園に移された。 千姫は、徳川二代将軍秀忠の長女で、東慶寺第二十世天秀尼の養母。 「新編相模国風土記稿」によると、旧仏殿は徳川忠長の旧館を移したものだったという。 |
※ | 三溪園には、建長寺の境内にあった心平寺の地蔵堂も移築されている。 |
宗光(植村定造)は、学生時代より円覚寺の釈宗演に参禅。 日露戦争に出兵し満州義軍の副総統として活躍したが捕虜となり、1905年(明治38年)、ロシア軍営中で断食坐禅をして自決した。 |
泰平殿前に建てられた四賀光子の歌碑。 「流らふる大悲の海によばふこゑ時をへだててなほたしかなり」と刻まれている。 覚山尼は北条時宗の妻で、時宗亡き後、東慶寺を開いた。 |
岩がらみ |
イワタバコ |
リンドウ |
雪の東慶寺 |
泰平殿裏には、1本の木が岩に絡みつく「岩がらみ」(ユキノシタ科)が植えられている。 6月初旬頃が見頃で、2週間ほどの特別公開が行われている。 同じ頃咲くのが「イワタバコ」。 秋には泰平殿前で鎌倉市の花「リンドウ」が咲く。 |
東慶寺は、北条時宗の妻覚山尼が開いた。 かつては、鎌倉尼五山第二位の格式を誇り、夫の横暴に悩む女性の救済場所だった。 |
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