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東慶寺の仏殿(泰平殿)に安置されている「阿弥陀如来立像」は、二十世天秀尼の念持仏といわれ、会津若松藩士堀主水の妻なえに与えられたもの。 |
城主加藤明成の非を幕府に訴えようとした堀主水となえは、藩を出奔するが、明成に追われ、主水は高野山に逃げ込んだ後、捕らえられ殺された。 一方、なえは東慶寺に逃げ込んだ。 なえの引き渡しを求める明成に対し天秀尼は、このことを徳川家光に訴えて明成の四十万石を没収させた。 事件後、なえは実家へ帰るが、そのとき天秀尼から阿弥陀像を賜ったという。 その仏像は近年になって東慶寺に返された。 |
二十世天秀尼は、豊臣秀頼の子で徳川二代将軍秀忠の娘千姫の養女(奈阿姫)。 大坂夏の陣で秀頼の大坂城が落城すると、千姫の助命嘆願により命を救われた奈阿姫は、出家して東慶寺に入った。 (参考:千姫の墓(京都:知恩院))。 |
東慶寺は、北条時宗の妻覚山尼が開いた。 かつては、鎌倉尼五山第二位の格式を誇り、夫の横暴に悩む女性の救済場所だった。 |
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