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東慶寺を開いた覚山尼は、八代執権北条時宗の正室。 父は安達義景、母は北条時房(北条政子の弟)の娘。 1284年(弘安7年)4月、時宗が臨終に先立ち出家すると供に出家し、無学祖元から「覚山志道」という法名が与えられた。 翌年、東慶寺を開く。 |
1251年(建長4年)7月4日、甘縄の安達邸で誕生。 翌年、父義景が亡くなったことから兄泰盛の猶子として育てられ、1261年(弘長元年)、10歳のときに一つ年上の時宗に輿入れした。 1271年(文永8年)、嫡男の貞時を生む。 1306年(徳治元年)10月9日死去。 法号は「潮音院殿覚山志道尼」。 |
1271年(文永8年)9月12日、日蓮が捕らえられて龍ノ口刑場に引き連れられたが、時宗は妻が懐妊したことの喜びからから、死一等を減じ佐渡流罪としたのだという(参考:龍ノ口法難)。 この年の暮れに誕生したのが、のちに九代執権となる北条貞時。 |
北条時宗と覚山尼の三男といわれる正宗は、両親の遺骨の一部を北条氏の故郷へ持ち帰ったのだという。 |
東慶寺は、北条時宗の妻覚山尼が開いた。 かつては、鎌倉尼五山第二位の格式を誇り、夫の横暴に悩む女性の救済場所だった。 |
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