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東慶寺の木造聖観音立像は、鎌倉地方独特の「土紋装飾」が施された仏像(国重文)。 鎌倉時代のもので寄木造。 像高134.5p。 高く結い上げた頭髪などに宋風が認められる(土紋の技法は中国より伝えられた。)。 「木造彩色水月観音坐像」とともに鎌倉の文化をよく伝えている仏像。 |
「木造聖観音立像」は、もとは鎌倉尼五山第一位の太平寺に安置されていたもの。 1556年(弘治2年)、太平寺の住職だった青岳尼が、鎌倉に攻め入った里見義弘とともに安房に渡った際、この観音像も持ち去ってしまうが、のちに青岳尼の妹で東慶寺の住職だった旭山尼によって鎌倉に戻されたのだという。 青岳尼と旭山尼は、小弓公方と呼ばれた足利義明の娘(参考:里見氏の鎌倉来襲)。 「木造聖観音立像」は、明治期まで観音堂(泰平殿)に安置されていたというが、現在は松岡宝蔵で常設展示されている。 鎌倉観音巡礼第32番札所。 |
「木造聖観音立像」を取り返すための交渉を行ったのは、北条氏綱の命を受けた塔頭陰涼軒の要山尼で、鎌倉に取り戻された聖観音像を氏綱が東慶寺に寄付したのだともいわれるが、里見義弘が鎌倉に攻め入った時代に鎌倉を領していたのは北条氏康であり、氏綱はすでに亡くなっていたと思われる。 |
東慶寺の「木造聖観音立像」が安置されていた太平寺の仏殿は、円覚寺の塔頭正続院に移築されている舎利殿。 |
土紋が施された聖観音〜東慶寺〜(okadoのブログ) |
東慶寺は、北条時宗の妻覚山尼が開いた。 かつては、鎌倉尼五山第二位の格式を誇り、夫の横暴に悩む女性の救済場所だった。 |
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