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釈宗演は、円覚寺派管長・建長寺派管長を勤めた高僧。 1860年(安政6年)、若狭国(現在の福井県高浜町)で誕生。 妙心寺の越渓守謙のもとで出家得度し、建仁寺などで修行した後、1878年(明治11年)、円覚寺の今北洪川に参じて印可を受けた。 1885年(明治18年)、慶應義塾に入学し、福澤諭吉に英語、洋学を学び、卒業後はセイロン島をはじめとするアジア各国に留学。 1892年(明治25年)、洪川の遷化に伴い34歳で円覚寺派管長に就任した。 翌1893年(明治26年)、シカゴで開かれた万国宗教大会で「禅(ZEN)」についての講演を行い、日本人の僧として初めて「禅」(「ZEN」)を欧米に紹介。 1903年(明治36年)、建長寺派管長も併任。 1905年(明治38年)、円覚寺・建長寺の管長を辞して東慶寺住持(男僧第二世)。 廃仏毀釈で荒廃していた東慶寺の中興に努めた。 1916年(大正5年)、円覚寺派管長に再任。 1919年(大正8年)11月1日、東慶寺で亡くなった(61歳)。 |
「駆け込み寺」・「縁切り寺」として知られていた尼寺東慶寺は、明治維新で「縁切寺法」が廃され、1902年(明治35年)の順荘法孝尼の死去により男僧が住持する寺となる。 |
仏教学者の鈴木大拙(貞太郎)は、釈宗演の弟子となり欧米に禅(ZEN)を広めるために活躍し、東慶寺内に自ら創設した松ヶ岡文庫で研究活動を行っていた。 円覚寺塔頭正伝庵に住まいしていたこともあったという。 「大拙」の号は釈宗演より受けている。 |
夏目漱石は円覚寺派管長だった釈宗演に参禅し、その時の体験を『門』に描いた。 |
東慶寺門前の碑は、1994年(平成6年)に漱石の参禅100年を記念して建てられたもの。 |
「心よりやがてこころに伝ふればさく花となり鳥となる」 釈宗演 「雲に問へはくもはもたせり風にとへはかせなかれ去るいかにせましや」 佐佐木信綱 |
東慶寺の宝物館「松岡宝蔵」、釈宗演の遺言に基づいて、1978年(昭和53年)に建てられた。 |
東慶寺は、北条時宗の妻覚山尼が開いた。 かつては、鎌倉尼五山第二位の格式を誇り、夫の横暴に悩む女性の救済場所だった。 |
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