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鈴木大拙は、明治から昭和にかけて活躍した仏教学者。 本名は貞太郎(石川県金沢市生まれ)。 円覚寺の釈宗演に参禅し「大拙」の号を受けた。 1897年(明治30年)渡米。 1900年(明治33年)、『大乗起信論』を英訳して出版、1907年(明治40年)には『大乗仏教概論』を著し、禅の思想を海外に広め、翌年帰国。 帰国後は円覚寺塔頭正伝庵に住まいしていたという。 1921年(大正10年)、京都で東方仏教徒会を設立。 晩年は鎌倉に住み、1946年(昭和21年)、東慶寺境内に財団法人松ヶ岡文庫を創設して研究生活を送った。 そもそも松ヶ岡文庫は、大拙の師・釈宗演によって発案されたものであったのだという。 1949年(昭和24年)、文化勲章受章。 1966年(昭和41年)、聖路加病院で死去(95歳)。 松ヶ岡文庫は、大拙の死後も東慶寺住職の井上禅定の尽力により存続され、現在も「公益財団法人松ヶ岡文庫」として大拙が残した書籍等が管理されている。 |
松ヶ岡文庫入口にある「自安」と刻まれた頌徳碑は、鈴木大拙の経済的援助をしたといわれる安宅弥吉を顕彰するため、大拙が建てたもの。 安宅弥吉は、大拙と同郷の実業家。 碑には「財団法人松ヶ岡文庫設立の基礎は君の援助によるもの」と刻まれている。 |
東慶寺の墓地には、鈴木大拙と動物愛護運動の先駆けとなる「慈悲園」を開いた夫人・ビアトリスの墓がある。 |
東慶寺は、北条時宗の妻覚山尼が開いた。 かつては、鎌倉尼五山第二位の格式を誇り、夫の横暴に悩む女性の救済場所だった。 |
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