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横浜の三溪園に移築されている旧東慶寺の仏殿。 禅宗様で棟札に1634年(寛永11年)の銘がある建物で、徳川二代将軍秀忠の娘・千姫の寄進と伝えられている(国重文)。 1907年(明治40年)に東慶寺から横浜の三溪園に移された。 明治に入って寺領を失った東慶寺が維持することが困難となって手放したものと考えられている。 |
千姫は、徳川秀忠と崇源院の長女。 1603年(慶長8年)、豊臣秀頼に嫁ぐが、1615年(20年)の大坂の陣で豊臣家が滅亡すると、秀頼の娘(奈阿姫・側室の子)を養女とした。 その後、奈阿姫は出家して天秀尼を号し、東慶寺に入っている。 翌年、千姫は姫路新田藩主・本多忠刻に再嫁したが、忠刻が亡くなった後は、江戸城に入って出家。 1634年(寛永11年)には、養女天秀尼のいる東慶寺の伽藍を整備した。 1666年(寛文6年)、江戸で死去(享年70歳)。 |
東慶寺は、北条時宗の妻覚山尼が開いた。 かつては、鎌倉尼五山第二位の格式を誇り、夫の横暴に悩む女性の救済場所だった。 |
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