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建長寺の本尊。 『吾妻鏡』には、1253年(建長5年)11月25日に建長寺の供養が行われ、「丈六の地蔵菩薩をもって中尊となし、同像千體を安置」したことが記されている。 現在、仏殿に安置されている地蔵菩薩坐像は室町期のものと考えられ、像高は371.5p。 ※「丈六」とは、1丈6尺を略したもの。 |
禅寺で本尊が地蔵菩薩というのは珍しい。 建長寺が建てられている谷は、もとは処刑場で地獄谷とも呼ばれ、処刑された者の死後の救済のため地蔵菩薩を本尊とする心平寺が建てられていた。 そのため、地蔵菩薩を本尊としたといわれている。 横浜の三溪園には、心平寺の地蔵堂といわれている建物が移築されている。 |
仏殿脇壇に安置された地蔵菩薩坐像。 南北朝時代仏像で像高は81.9p。 千体地蔵に囲まれるように置かれている。 建長寺の寺域にあった心平寺の本尊と伝わる地蔵尊で「心平寺地蔵」と呼ばれている(鎌倉二十四地蔵)。 |
建長寺には、「済田地蔵」と呼ばれる木造地蔵菩薩の小像が伝えられ、「無実の罪で斬首されそうになった済田左衛門は、この小像を髻(もとどり)の中に納めていたことから処刑を免れることができた」という伝説が残されている。 この小像は、心平寺地蔵の頭に納められたのち、建長寺の本尊地蔵の胎内に納められたと伝えられているもので、鎌倉二十四地蔵の一つに数えられている。 済田地蔵は「宝物風入」のときに拝観できる。 |
『新編鎌倉志』によると・・・ 建長寺の塔頭回春院の山の上には、源平合戦の葦屋浦の戦いで敗れた原田種直の子が作った地蔵尊が埋められ、原田地蔵と呼ばれていたのだとか・・・ |
建長寺二世の兀菴普寧(ごったんふねい)という僧は、本尊地蔵菩薩に礼拝をしなかったという。 菩薩はまだ修行の身であり、自分は悟りを得た仏であるので、菩薩より位が上という理由のようである。 北条時頼の要請で建長寺に住持したが、時頼が死ぬと間もなく中国に帰ってしまったのだという。 かなり気難しい者で「兀庵」(ごったん)という名から「ごたごた」という言葉が生まれたのだという(参考:浄智寺)。 |
浄智寺の開山と開基 (開山も開基も複雑な寺) |
建長寺 |
仏殿 |
建長寺は、五代執権北条時頼が宋の蘭渓道隆を招いて開いた日本で初めての「禅専門道場」。 臨済宗建長寺派大本山。 鎌倉五山の第一位。 |
鎌倉市山ノ内8 0467(22)0981 JR北鎌倉駅から徒歩15分 |
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