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東光寺は、1121年(保安2年)、甲斐源氏の祖新羅三郎義光が諸堂を建立して興国院と称したことに始まると伝えられている。 1262年(弘長2年)、鎌倉建長寺開山の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が禅宗寺院(臨済宗)として再興。 甲州禅文化の中心として栄えた。 1320年代になると、北条高時から五山十刹に次ぐ諸山の寺格を与えられ、寺号も東光寺と改められている。 戦国期には武田信玄の保護を受けて再興され、建長寺派から妙心寺派の寺院となって栄え、甲府五山のひとつに列せられた。 1582年(天正10年)、織田信長・徳川家康の連合軍による武田征伐(甲州征伐)で武田氏が滅亡すると焼き討ちに遭い焼失。 江戸時代になると徳川氏によって寺領を安堵されている。 |
創建、開基 | 不詳 |
山号 | 法蓋山 (ほうがいさん) |
本尊 | 薬師如来 |
東光寺を禅宗寺院に改めた蘭渓道隆は、中国宋の禅僧。 1246年(寛元4年)に来日。 鎌倉幕府五代執権の北条時頼に招かれて、1253年(建長5年)、禅の専門道場建長寺の開山に迎えられた。 京都の建仁寺などにも住持するが、讒言により伊豆や甲斐に流された頃もあった。 東光寺は配流中の道隆が入山した寺。 1278年(弘安元年)7月24日、建長寺で示寂。 没後、後宇多天皇より「大覚禅師」の号を賜っている。 |
仏殿は、鎌倉円覚寺の舎利殿と同じく中世の禅宗様式を伝える貴重な建物。 |
庭園 |
武田義信の墓 |
本堂の庭園は、蘭渓道隆の作庭と伝えられる。 武田信義は、信玄の嫡男で三条夫人が産んだ子。 |
諏訪頼重の墓 |
柳沢家の廟所 |
諏訪頼重は武田勝頼の祖父。 柳沢氏は甲府城主。 |
東光寺は武田信玄が定めた「甲府五山」の一つ。 信玄は、甲斐国の古刹を府中(甲府)に集めて臨済宗妙心寺派の寺院に改め、鎌倉五山・京都五山にならって「甲府五山」を定めた。 それが、長禅寺・東光寺・法泉寺・能成寺・円光院。 鎌倉五山や京都五山のように順位があったのかどうかは不明。 |
山梨県甲府市東光寺3−7−37 JR中央線・酒折駅より約徒歩20分 JR身延線・善光寺より約徒歩15分 |
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