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新羅三郎義光(源義光)は、河内源氏二代・源頼義の三男。 「新羅三郎」とは、新羅明神で元服したことから呼ばれる名。 弓馬に優れていたという義光。 兄義家の助勢(後三年の役)のため、検非違使の職を辞して後三年の役に参陣し、奥州の争乱を鎮めたことで知られる。 後三年の役後は、東国に勢力を拡大し、常陸の佐竹氏、甲斐の武田氏、信濃の小笠原氏は、義光を祖としている。 兄義家の死後、河内源氏の棟梁となった甥の義忠を暗殺した黒幕ともいわれるが、詳細は不明。 1127年(大治3年)10月20日、園城寺(三井寺)で死去したと伝えられている。 |
新羅善神堂 |
新羅三郎義光墓 (鎌倉:大寶寺) |
八雲神社 (鎌倉) |
大寶寺 (鎌倉) |
鎌倉の八雲神社は、鎌倉最古の厄除け神社と呼ばれ、義光が祇園八坂社(八坂神社)を勧請したことに始まる社。 大寶寺は、義光が屋敷を構え、義光を祖とする常陸の佐竹氏の屋敷となったところと伝えられている。 |
源義経が愛用したという「薄墨」の笛は、義光伝来のものといわれ、駿河国の久能寺に奉納されたのだという(参考:久能山東照宮)。 また、義光を祖とする甲斐武田家は、義光から引き継がれた「御旗」(日の丸)と「楯無」(たてなし)を家宝として崇拝していたのだという。 |
義光を祖とする甲斐武田家は、義光から引き継がれた「御旗」(日の丸)と「楯無」(たてなし)を家宝として崇拝していたのだという。 「御旗」は雲峰寺、「楯無」は菅田天神社に伝えられている。 |
雲峰寺 (甲州市) |
菅田天神社 (甲州市) |
雲峰寺には、「御旗」の他に、信玄が用いた「風林火山」の軍旗をはじめとする武田家の重宝が伝えられている。 武田信玄は、甲府の鬼門の守護のため「楯無」を菅田天神社に納め、必要に応じて持ち出したのだという。 |
武田流流鏑馬 |
小笠原流流鏑馬 |
896年(寛平8年)、源能有が「弓馬の礼」を制定。 その技術は、源経基が伝承し、満仲→頼信→頼義→義家に相伝され、義家の弟義光から武田家・小笠原家に伝えられた(参考:鶴岡八幡宮の流鏑馬神事)。 |
参考までに・・・ 義光の長兄・義家は、石清水八幡宮の神前で元服したことから「八幡太郎」と呼ばれ・・・ 次兄・義綱は賀茂神社の神前で元服したことから「賀茂次郎」と呼ばれた。 |
京阪電車石山線別所駅より徒歩15分。 新羅善神堂鳥居横の山道を約200メートル。 |
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園城寺(三井寺)は、天台寺門宗の総本山。 日本三不動の一つ黄不動、三井の晩鐘、三井の霊水で知られる。 |
滋賀県大津市園城寺町246 京阪電鉄石山坂本線三井寺駅より徒歩10分 別所駅より徒歩12分 JR西日本東海道本線(琵琶湖線)大津駅より 京阪バス三井寺バス停下車 JR西日本湖西線大津京駅より京阪バス三井寺バス停下車 |
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