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三河国の国司・兼高長者の夫婦には浄瑠璃と呼ばれる美しい姫がいた。 1174年(承安4年)、奥州平泉の藤原秀衡を頼るために京都を発った源義経が姫の住まいのある矢作宿に立ち寄ると・・・ 姫の奏でる琴の音が聞こえてきた。 都を懐かしく思った義経は、携えていた笛「薄墨」をとって、琴に合わせて吹いたのだという。 そして、二人は惹かれあう仲に。 数日後、義経は奥州へと旅立つが、駿河国の吹上の浜で大病に。 義経を助けに行った浄瑠璃姫は再会を喜ぶのだが・・・ 義経は再び奥州へと旅立ってしまう。 矢作に戻った姫は・・・ 平家の世に源氏と関わったことで親から勘当され、庵に幽閉されてしまう。 義経との再会を心の支えにしてきた姫だったが、悲嘆にくれて菅生川(乙川)に身を投じてしまったのだという。 |
誓願寺は、浄瑠璃姫が住んでいた矢作宿にある寺。 義経が浄瑠璃姫に贈ったとされる「薄墨」が残されているらしい。 |
浄瑠璃寺(光明寺)は、浄瑠璃姫の庵があった場所に父兼高長者が建立した安西寺が始まり。 義経と浄瑠璃姫の画像と姫の守本尊だった薬師如来が安置されている。 |
浄瑠璃姫の庵は龍頭山にあったといわれ、岡崎城が築城されたことで安西寺は移転し、その場所は浄瑠璃曲輪と呼ばれたのだという。 浄瑠璃寺(光明寺)の南には浄瑠璃姫の墓といわれる塚がある。 |
浄瑠璃姫が身を投じたという菅生川(乙川)。 その堤防には句碑が建てられている。 |
「散る花に 流れもよどむ 姫ヶ淵」 |
成就院は、浄瑠璃姫の菩提を弔うために侍女の冷泉が建てた冷泉寺を始まりとする。 |
成就院にある浄瑠璃姫の墓。 |
安心院も浄瑠璃姫の菩提を弔うために建てられたのだという。 |
徳川家康が埋葬された久能山の伝承によると、義経の「薄墨」は久能寺に寄進されたのだという。 「薄墨」は新羅三郎義光伝来の笛で、源義朝→常盤御前→義経と伝えられたのだといわれる。 義経は浄瑠璃姫に久能寺に納めるよう頼んでいたのだとか・・・ |
東海道の矢作宿の長者・兼高と婦人が鳳来寺に祈願して授かった浄瑠璃姫。 奥州へ向かう途中の義経と恋仲となるが・・・ 浄瑠璃姫は、はかない恋を嘆き悲しみ、鳳来寺の千寿ガ峯で自害したのだという。 |
岡崎城は、義経と浄瑠璃姫の伝説から約280年が経った1452年(享徳元年)に築かれた城。 この城で江戸幕府を開いた徳川家康が誕生した。 |
徳川将軍家の菩提寺増上寺の安国殿に祀られている「黒本尊」は、家康の守り本尊。 義経が三河国岡崎の長者に預けていたものなのだという。 |
源義経の奥州下り〜平治物語〜 『義経記』が描く源義経の奥州下り |
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