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鳳来寺(ほうらいじ)は、702年(大宝2年)、利修仙人が開いたという真言宗五智教団の本山。 伝説によると・・・ 利修は、文武天皇が病気になった際、鳳凰に乗って都へのぼり、七日間の加持祈祷で天皇の病気を治したのだという。 そのため鳳来という寺名なのだとか。 本尊は、利修が霊木7本の杉のうちの1本を使って彫ったという薬師如来像。 峯薬師とも呼ばれ、日向薬師・柴折薬師とともに日本三大薬師の一つ(三大薬師については諸説ある。)。 |
1159年(平治元年)12月、父の源義朝とともに平清盛と戦った平治の乱に敗れた源頼朝は、一時、鳳来寺の僧坊・医王院に匿われていたのだという。 『平家物語』によると、1160年(永暦元年)3月、伊豆国流罪となった頼朝は蛭ヶ小島に流されたと伝えられるが・・・ 実は3年間、鳳来寺に匿われていたとも・・・。 1185年(文治元年)、その恩に報いるため梶原景時に命じて三重塔をはじめとする諸堂を建立したのだと伝えられる。 参道の石段も頼朝寄進と伝わる。 |
東海道の矢作宿の長者・兼高と婦人が鳳来寺に祈願して授かった浄瑠璃姫。 奥州へ向かう途中の源義経と恋仲となるが・・・ 浄瑠璃姫は、はかない恋を嘆き悲しみ、鳳来寺の千寿ガ峯で自害したのだという。 |
徳川家康は、父・松平広忠と母・於大の方が鳳来寺の峯薬師に祈願して授けられたのだという。 |
徳川家康に仕え、徳川四天王のひとりで「井伊の赤備え」で知られる井伊直政は、幼少期に鳳来寺に預けられていたのだという。 |
井伊直政と鳳来寺 徳川家康と築山殿と井伊直政〜築山殿は井伊の血を引くのか?〜 |
1572年(元亀3年)、遠江国への侵攻を開始した武田信玄は、三方ヶ原の戦いで徳川家康を破り、翌年には三河国へ進軍するが、病に倒れ、鳳来寺で療養したのだと伝えられる。 |
武田信玄の墓 (甲府市) |
武田信玄の墓 (甲州市恵林寺) |
奥平氏は、1573年(元亀4年)の武田信玄の三河侵攻まで武田氏に属していた奥三河の国人。 奥平仙千代は、武田に人質として出されていたが、父の貞能と兄の貞昌が信玄の死後、徳川家康の家臣となったことで処刑されたのだという。 その後、兄の貞昌は長篠城主となり、1575年(天正3年)の武田勝頼の攻撃も凌ぎ切っている(長篠の戦い)。 |
鳳来山東照宮は、於大の方が鳳来寺の薬師如来に祈願して家康が誕生したという因縁から三代将軍徳川家光の命により建立された。 |
久能山東照宮の家康の宝塔は西向きに建てられているが、西方には・・・ 鳳来寺・歴代将軍の位牌が納められている大樹寺・家康が生まれた岡崎城がある。 |
愛知県新城市門谷字鳳来寺1 豊鉄バス (田口新城線)「鳳来寺」下車 Sバス湯谷温泉もっくる新城線「鳳来寺山頂」下車 |
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