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八雲神社は、「八雲さん」、「お天王さん」の愛称で親しまれている大町の鎮守。 新羅三郎義光が兄八幡太郎義家の助勢(後三年の役)のため奥州に赴く途中で鎌倉に立ち寄った際、疫病が流行っていたため、京都の祇園八坂社(現在の八坂神社)の祭神を勧請したのが八雲神社の始まりと伝えられている。 1080年頃の創建。 室町時代には、佐竹屋敷の祠が合祀され、「佐竹天王」とも称され、江戸時代には将軍より朱印も賜り、「祇園さま」として尊崇された。 明治の神仏分離により、鎌倉祇園社から八雲神社に改称。 現在の社名は、祭神の須佐之男命が詠んだ最古の和歌「「八雲立つ 出雲八重垣妻籠に 八重垣作る その八重垣を」に因むもの。 七月の神幸祭(大町まつり)は、神輿渡御で知られ、幼児を抱いての「みこしくぐり」は子の無事な成長を祈願する。 |
須佐之男命(すさのおのみこと) 稲田比売命(いなだひめのみこと) 八王子命 佐竹氏の御霊 |
祇園信仰の神社では、現在主祭神として祀られている須佐之男命が仏教の守護神・牛頭天王と同一視されて祀られていたが、明治の神仏分離によって、仏教の神である「牛頭天王」や仏教用語の「祇園」が除かれた。 |
八坂神社 (京都) |
新羅三郎義光墓 (大寶寺) |
佐竹屋敷跡 (大寶寺) |
新羅善神堂 (大津市) |
社殿前の天水盤は、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの聖火台を鋳造した鈴木文吾氏が手掛けたもの。 |
『吾妻鏡』の1228年(安貞2年)7月16日の条に、「松童社のかたわらから火事が起こり・・・竹御所は延焼を免れた」とする記述がある。 この松童社というのは、記事の内容から地理的な関係を推測すると、八雲神社のことであるとする説がある。 竹御所は四代将軍藤原(九条)頼経の妻で、妙本寺の祖師堂左奥の墓地に御所があった(竹御所の死後は、新釈迦堂が建てられている。)。 |
初神楽 (1月6日) |
大町まつり (7月) |
毎年7月の八雲神社の例祭は、地元住民からは「大町まつり」として親しまれている。 4基の神輿渡御で知られ、天王唄を歌いながら町内を巡行。 夜には神輿に提灯が取り付けられ、「神輿ぶり」の伝統が披露される。 例祭は祇園信仰の祭礼で、もとは京都八坂神社の祭礼「祇園祭」。 |
八雲神社裏手にある御嶽三峰社横から裏山を上がれば、東勝寺跡までのハイキングコース。 途中、妙本寺へも下りることができる。 |
八雲神社は、鎌倉で一番古い厄除け神社。 |
鎌倉市大町1−11−22 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
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