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大寶寺(日蓮宗)のある地は、新羅三郎義光(源義光)が屋敷を構え、義光を祖とする常陸の佐竹氏の屋敷となったところと伝えられている。 佐竹氏十一代目の義盛が屋敷を寺とし、新羅三郎義光が守護神としていた多福明神にちなんで「多福寺」としたのが大寶寺のはじまり。 のちに多福寺は廃寺となったが、1444年(文安元年)、日出によって日蓮宗の寺に改められ「大寶寺」となった。日出は本覚寺の開山でもある。 境内の多福稲荷は、義光が建てたものとされる。 |
開山 | 日出 |
開基 | 佐竹義盛 |
本尊 | 三宝祖師 |
新羅三郎義光墓 |
多福稲荷大明神 |
佐竹屋敷跡 |
佐竹氏第十一代当主の佐竹義盛は、子に恵まれなかったことから、関東管領上杉憲定の次男義人(義憲)を養子とし、義盛の死後、義人が佐竹宗家を継いだ。 この事に不満を抱いたのが佐竹一門の佐竹(山入)与義。 与義は、1416年(応永23年)に起こった上杉禅秀の乱で禅秀に味方し、鎌倉公方の足利持氏に反旗を翻すとともに、持氏に従っていた義人を攻撃した。 その後も持氏に対して執拗な抵抗を続けていた与義だったが、1422年(応永29年)、持氏の命をうけた上杉憲直によって佐竹屋敷が攻撃されると、裏山を越え比企ヶ谷に逃げ込み、法華堂(新釈迦堂)で自刃したと伝えられている。 妙本寺の新釈迦堂跡には「佐竹やぐら」と呼ばれるやぐらが存在している。 ※佐竹与義(上総介入道常元)。 |
佐竹やぐら |
蛇苦止明神 |
その昔、鬼が千匹の子をもっていた。その子たちには、毎日、人間の肉を食べさせていたという。 ある日、その中の一匹がいなくなってしまった。 どう探してもみつからない。 実はお釈迦さまが隠したのである。 お釈迦さまは、母鬼に「食べられた人間の家族は、みな嘆き悲しむ。これからは、ざくろの実が人間の肉の味に似ているから、それを食べさせるように」と言ったそうだ。 それからは、鬼は子どもたちの守り神となり、人々は、ざくろの実をお供えするようになった。 大寶寺では、5月9日に「子育て鬼子母神祭」が行われている。 |
鎌倉市大町3−6−22 0467(22)2973 |
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