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妙本寺のある地は、源頼朝の信任厚かった御家人比企能員の屋敷があったところで、能員の末子能本がこの寺を建立したのだと伝えられている。 源頼朝亡き後の1203年(建仁3年)9月、北条氏と比企氏との権力争いに二代将軍源頼家も絡んだ「比企の乱」(比企能員の変)が起きた。 結果、比企一族は北条氏によって滅ぼされ、頼家は伊豆修禅寺に幽閉された後、翌年暗殺された。 境内には、比企一族の供養塔、頼家の側室若狭局を祀る蛇苦止明神、頼家の子一幡(6歳)の袖塚がある。 妙本寺の創建は1260年(文応元年)。 開山は能本が帰依した日蓮。 山号の「長興」は能員の法名、寺号の「妙本」は能員夫人の法名で、日蓮から授けられたもの。 本尊は十界大曼荼羅御本尊。 |
鎌倉の日蓮宗の寺 鎌倉と日蓮 除夜の鐘:鎌倉 |
妙本寺のある比企ヶ谷は、源頼朝が乳母の比企尼を迎え入れた場所。 |
比企能員を源頼家の乳母夫に推挙〜比企尼の逸話〜 |
そして、妙本寺は比企一族滅亡の地。 |
夕日いざよふ妙本寺、法威のあとを弔へば、芙蓉の花の影さびて、我世の末をなげくかな。 法よ、おきてよ、人の子よ、時の力をいかにせん、永劫の神またたきて、金字玉殿いたずらに、懐古の客を誘ふかな。梢の鳩の歌ふらく、ありし昔も今も尚ほ、夕日いざなふ妙本寺、芙蓉の花は美なるかな。 |
父の生死を知るため鎌倉に下った微妙(びみょう)。 比企能員が源頼家を招いて催した花見の宴で舞を披露したのだという。 |
池上本門寺は、日蓮入滅の霊跡にある寺院。 日蓮六老僧のひとり日朗が伽藍を整備。 妙本寺を活動拠点としていた日朗は、池上本門寺の貫主も兼任。 この両山一首制は、1941年(昭和16年)まで続けられていた。 |
祖師堂から墓地へと続く階段を上がると祇園山ハイキングコースの案内がある。 「腹切やぐら」や「八雲神社」までのハイキングを楽しむことができる。 |
日蓮の龍ノ口法難のあった9月12日には、祖師堂が特別開帳される。 |
鎌倉市大町1−15−1 0467(22)0777 鎌倉駅東口から徒歩8分 |
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