比企能員を源頼家の乳母夫に推挙〜比企尼の逸話〜 |
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1182年(寿永元年)8月12日、北条政子が比企邸で男児を出産。 万寿と名付けられた男児は、のちの二代将軍源頼家。 『吾妻鏡』によると・・・ 10月17日、北条政子と万寿が産所となった比企邸から御所に帰ってきた。 万寿の輿を担いだのは、佐々木定綱・佐々木経高・佐々木盛綱・佐々木高綱。 弓矢は小山宗政、刀は小山朝光が持った。 そして、贈物をしたのは乳母夫の比企能員。 能員が万寿の乳母夫になった理由は・・・ 乳母夫にふさわしい御家人は何人かいたが、能員の義母比企尼は、源頼朝が誕生したときに乳母となり、 1160年(永暦元年)3月、頼朝が伊豆国の蛭ヶ小島に流されると、忠義を尽くすために夫の比企掃部允とともに京都から武蔵国比企郡へ下り、 1180年(治承4年)8月に頼朝が挙兵するまでの約20年の間、仕送りを続けていた。 出世を果たした頼朝がこの時の恩に報いようとすると、比企尼は甥の能員を猶子にして乳母夫に推挙したのだという。 |
比企尼の夫比企掃部允は、源頼朝が挙兵する前に亡くなった。 比丘尼山は、夫亡き後の比企尼が草庵を営んだ所と伝えられている。 |
源頼朝は、流人時代に世話になった比企尼を鎌倉に迎え入れた。 妙本寺は、比企邸の跡に建てられた寺。 |
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