中世歴史めぐり

徳川氏発祥の地 松平氏発祥の地
家康生誕地 東照宮

徳川家康



風林火山
武田信玄の「孫子の旗」

編集:yoritomo-japan.com








風林火山


 「疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山」

 武田信玄恵林寺の快川紹喜に書かせて作らせたという軍旗。

 通称は「風林火山」(ふうりんかざん)。


 疾(はや)きこと風の如ごとく

 徐(しず)かなること林の如く

 侵掠(しんりゃく)すること火の如く

 動かざること山の如し



~孫子の兵法~

 「風林火山」の軍旗は「孫子の兵法」からのもの。

 そのため、「孫子の旗」「孫子四如の旗」と呼ばれ、「風林火山」と呼ぶようになったのは現代になってから。

 「風林火山」は、信玄が用いる前に南北朝期の公卿・北畠顕家が用いているのだという。



風林火山
(甲州市:雲峰寺蔵)


 「孫子の旗」は、武田神社恵林寺雲峰寺などに残されている。

 雲峰寺のものは、武田氏滅亡後に家臣から託されたものといわれ、「孫子の旗」の他に「日の丸の御旗」・「諏訪神号旗」・「馬標旗」が伝えられている。



御旗楯無 御照覧あれ


諏訪神号旗









~快川紹喜~
(かいせん じょうき)

恵林寺
リンクボタン恵林寺
(甲州市)

 「疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山」の文字を書いたという快川紹喜は、信玄に招かれて恵林寺に住持。

 1576年(天正4年)に行われた信玄の葬儀の導師をつとめている。


恵林寺三門
安禅不必須山水
滅却心頭火自涼

恵林寺三門

 1582年(天正10年)、織田信長に焼き討ちされた恵林寺

 快川は燃え盛る三門の楼上で・・・

 「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」

 (あんぜんかならずしもさんすいをもちいず しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし)

 と偈を発して焼死したのだと伝えられている。



リンクボタン恵林寺焼き討ち~信長公記が伝える甲州征伐~



武田信玄訓言





~瀬田橋に風林火山の旗を立てよ!~

瀬田の唐橋
リンクボタン瀬田唐橋
(大津市)

 かつては「瀬田橋を制するものは全国を制す」と言われ、京都防衛上の重要な橋。

 1573年(元亀4年)4月、上洛途上の陣中で病に倒れた武田信玄は、臨終の際に瀬田橋に風林火山の旗をたてるよう命じたのだとか・・・




信玄誕生の寺
積翠寺
リンクボタン積翠寺
(甲府市)
武田氏館跡
武田神社
リンクボタン武田神社
(甲府市)


武田信玄の墓
リンクボタン武田信玄の墓
(甲府市)
武田信玄の墓
リンクボタン武田信玄の墓
(甲州市 恵林寺)









武田信玄





中世歴史めぐり


徳川家康


徳川氏発祥の地 松平氏発祥の地
家康生誕地 東照宮