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「疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山」 武田信玄が恵林寺の快川紹喜に書かせて作らせたという軍旗。 通称は「風林火山」(ふうりんかざん)。 疾(はや)きこと風の如ごとく 徐(しず)かなること林の如く 侵掠(しんりゃく)すること火の如く 動かざること山の如し |
「風林火山」の軍旗は「孫子の兵法」からのもの。 そのため、「孫子の旗」「孫子四如の旗」と呼ばれ、「風林火山」と呼ぶようになったのは現代になってから。 「風林火山」は、信玄が用いる前に南北朝期の公卿・北畠顕家が用いているのだという。 |
「孫子の旗」は、武田神社・恵林寺・雲峰寺などに残されている。 雲峰寺のものは、武田氏滅亡後に家臣から託されたものといわれ、「孫子の旗」の他に「日の丸の御旗」・「諏訪神号旗」・「馬標旗」が伝えられている。 |
「疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山」の文字を書いたという快川紹喜は、信玄に招かれて恵林寺に住持。 1576年(天正4年)に行われた信玄の葬儀の導師をつとめている。 |
1582年(天正10年)、織田信長に焼き討ちされた恵林寺。 快川は燃え盛る三門の楼上で・・・ 「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」 (あんぜんかならずしもさんすいをもちいず しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし) と偈を発して焼死したのだと伝えられている。 |
恵林寺焼き討ち~信長公記が伝える甲州征伐~ |
かつては「瀬田橋を制するものは全国を制す」と言われ、京都防衛上の重要な橋。 1573年(元亀4年)4月、上洛途上の陣中で病に倒れた武田信玄は、臨終の際に瀬田橋に風林火山の旗をたてるよう命じたのだとか・・・ |
信玄誕生の寺 積翠寺 (甲府市) |
武田氏館跡 武田神社 (甲府市) |
武田信玄の墓 (甲府市) |
武田信玄の墓 (甲州市 恵林寺) |
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