鎌倉手帳(寺社散策)

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光 触 寺
=頬焼阿弥陀と塩嘗地蔵=

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光触寺


 光触寺は、1279年(弘安2年)の創建。

 もとは真言宗の寺であったというが、開山の作阿が一遍に帰依し、時宗に改められたのだという(一遍の開山という説もある。)。

 山号は「岩蔵山」。

 光触寺は、比企ヶ谷にあった岩蔵寺を前身としている。

 本尊は阿弥陀三尊で、阿弥陀は運慶、観音は安阿弥(快慶)、勢至は湛慶作と伝えられ、鎌倉六阿弥陀の一つに数えられる(国重文)。

 本尊中尊の阿弥陀如来像は「頬焼阿弥陀」と呼ばれ、絵巻物の『頬焼阿弥陀縁起』は国の重要文化財。

 境内(本堂前)に置かれた「塩嘗地蔵」には、塩売りが塩を供えると嘗めたという伝説が残されている。



鎌倉観音巡礼第7番札所
(聖観世音)

鎌倉地蔵巡礼第5番札所
(塩嘗地蔵)


開山 作阿
開基 一遍
本尊 阿弥陀三尊
鎌倉六阿弥陀


時宗総本山遊行寺(清浄光寺)

鎌倉の時宗の寺









光触寺本堂
リンクボタン本堂

木造阿弥陀如来及両脇侍像(国重文)・木造聖観音菩薩立像・木造阿弥陀仏仏頭を安置。



頬焼阿弥陀
リンクボタン頬焼阿弥陀縁起
光触寺塩嘗地蔵
リンクボタン地蔵堂
(塩嘗地蔵)

 『頬焼阿弥陀縁起』は、本尊阿弥陀如来の由来を描く絵巻物(国重文)。

 「塩嘗地蔵」は、塩を嘗めたという伝説が残る地蔵尊。





一遍上人像
一遍上人像


 時宗開祖の一遍は、踊念仏を広め、「決定往生六十万人」と書いた紙の札(賦算札)を配って全国を歩いた(遊行)。

 1282年(弘安5年)3月1日、巨福呂坂から鎌倉に入ろうとしたが、八代執権北条時宗によって阻止されたといわれ、その時の様子が藤沢の清浄光寺(遊行寺)に伝わる『一遍上人絵伝』に描かれている。

 参考:一遍上人地蔵堂跡



賦算札
賦算札

 全国を遊行した一遍は、1289年(正応2年)8月23日、摂津国兵庫津の観音堂(真光寺)で遷化。

 一遍が広めた「躍り念仏」は、六波羅蜜寺を開いた空也に倣ったものといわれている。





光触寺橋
光触寺橋

 門前の滑川に架かる朱塗りの橋。

 この辺りには、かつて一心院や月輪寺という寺院があったという。









「塩の道」・・・
朝夷奈切通
リンクボタン朝夷奈切通

 鎌倉七口の一つ朝夷奈切通は、鎌倉と金沢(六浦)を結ぶ切通。
 三代執権北条泰時によって開かれたこの道は「塩の道」と呼ばれた。



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六浦道(路)その1

静寂の熊野神社から十二所果樹園を経て光触寺へ




歴史めぐり源頼朝




光触寺
光触寺

鎌倉市十二所793
0467(22)6864

鎌倉駅から金沢八景・大刀洗行バス
「十二所」下車徒歩2分



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