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光触寺の本堂前の小さな地蔵堂に安置されている「石蔵地蔵菩薩坐像」は、伝説が残された「塩嘗地蔵」。 鎌倉の東は六浦。 鎌倉時代、「六浦の港」は物資の集積地として栄えていた(※幕府は六浦の港から物資を運び入れるために「朝夷奈切通」を整備している。)。 特に塩は貴重な物資で、塩田には向かない鎌倉の海では塩の確保は難しかったため六浦から運ぶ必要があった。 そのため朝夷奈切通は「塩の道」とも呼ばれていた。 そんな中で生まれたのが「塩嘗地蔵」の伝説。 |
朝比奈峠を越えてやってきた行商人が、街道(六浦道)沿いにあったお地蔵さまに塩を初穂として供えた後、鎌倉の街に入っていった。 ところが、供えていったはずの塩が帰りにはなくなっていたことから、「お地蔵さまが嘗めてしまったのではないか」ということで「塩嘗地蔵」と呼ばれるようになったという。 また、ある塩売りが、お地蔵さんが塩を嘗めるのを見張っていたが、一向に嘗めないので塩をぶちまけたところ、それまで金色に輝いていたお地蔵さんが輝きを失ってしまったという伝説も残されている。 |
六地蔵背後の大きな像が「塩嘗地蔵」。かつては、六浦道の傍らにあったという。 鎌倉二十四地蔵の一つ。 |
光触寺は、朝比奈峠の出入口にある時宗の寺。 「頬焼阿弥陀」と「塩嘗地蔵」の伝説が残された寺として知られている。 |
鎌倉市十二所793 0467(22)6864 鎌倉駅から金沢八景・大刀洗行バス 「十二所」下車徒歩2分 |
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