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西方極楽浄土を表現した平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)は、関白藤原頼通の建立。 1053年(天喜元年)3月4日落成。 中堂(ちゅうどう)、左右の翼廊、中堂背後の尾廊の四棟からなる建築物で、いずれも国宝。 浄土式庭園の阿字池の中島に建てられ、中堂(ちゅうどう)には仏師・定朝作の本尊・丈六阿弥陀如来坐像(国宝)を安置。 周囲の壁と扉には「九品来迎図」、阿弥陀仏の背後の壁には「極楽浄土図」が描かれ、左右の壁の上部には52体の「雲中供養菩薩像」が懸けられている。 いずれも国宝。 |
平等院の阿弥陀堂は、鳳凰が翼を広げている姿に似ていることから「鳳凰堂」と呼ばれている。 ただ、鳳凰堂と呼ばれるようになったのは江戸時代に入ってからのことだという。 |
本尊の阿弥陀如来像は、定朝の作だと特定できる唯一のもの。 |
定朝は、藤原道長の建立で、平等院のモデルとなったといわれる法成寺の造仏も任されている。 道長は褒美として定朝に仏師としては初めてとなる法橋の地位を与えたのだという。 |
法成寺は、土御門邸の東側に藤原道長が創建した寺院。 法成寺の西北には正妻の源倫子発願による西北院が、東北には娘の彰子発願の東北院があった。 平等院の鳳凰堂は、法成寺の阿弥陀堂を参考にして建立されたのだという。 |
藤原道長の出家と最期 |
金銅藤原道長経筒〜御嶽詣と弥勒信仰と道長の願文〜 |
泉涌寺の塔頭即成院は、藤原頼通の三男・橘俊綱が建てた光明院を始まりとしていると考えられている。 山門の鳳凰は、平等院の鳳凰堂と向き合う形で置かれているのだという。 |
奥州藤原氏三代の秀衡が平泉に建てた無量光院は、悉く平等院鳳凰堂を模したものだったと伝えられている。 |
鎌倉の永福寺は、源頼朝が平泉の寺院を模して建立した。 |
鎌倉時代に活躍した運慶は、定朝の流れを汲む奈良仏師。 定朝の孫頼助は、奈良の興福寺を拠点に活動。 康助、康朝、成朝と父から子へ受け継がれたが、成朝没後に正系は途絶え、傍系の康慶、運慶らの慶派に受け継がれていった。 |
平等院は藤原道長の別荘「宇治殿」を子の頼通が寺としたのが始まり。 鳳凰堂(阿弥陀堂)は華やかな藤原時代の貴重な遺構。 |
宇治市宇治蓮華116 JR奈良線「宇治駅」下車徒歩10分 京阪電鉄宇治線「京阪宇治駅」下車徒歩10分 |
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