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即 成 院
京都:泉涌寺

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泉涌寺即成院


 即成院は泉涌寺の塔頭。

 創建されたのは伏見で、宇治の平等院を建てた藤原頼通の三男・橘俊綱(たちばなのとしつな)が建てた光明院を始まりとしていると考えられている。

 本尊は阿弥陀如来。

 山号は光明山。

 伏見にあった即成院は、1594年(文禄3年)、豊臣秀吉の伏見城築城に伴い大亀谷に移転。

 明治の神仏分離に伴う廃仏毀釈の影響で廃寺となったが、その後仏像が引き取られていた泉涌寺山内で復興。

 阿弥陀如来及び二十五菩薩像は重要文化財。



泉涌寺即成院の阿弥陀如来及び二十五菩薩像





泉涌寺即成院の鳳凰
鳳凰

 山門の鳳凰は、平等院鳳凰堂と向き合う形で置かれているのだという。



那須与一の墓
那須与一の墓

 1185年(元暦2年)の屋島の戦い源義経に命じられて、平家の軍船に掲げられた扇の的を射落としたことで知られる那須与一

 合戦前、病に倒れた与一は、即成院で療養したのだという。

 その後も阿弥陀如来への信仰を続けた与一は、伏見にあった即成院で死去したのだと伝えられている。



那須与一地蔵尊
リンクボタン那須与一地蔵尊

 大津市の石山寺には、病気療養中の与一が信仰したという地蔵尊がある。









泉涌寺
リンクボタン泉涌寺

 泉涌寺は皇室の菩提所として、天台・浄土・律・禅兼学の道場として栄えた。
 御寺の名で知られている。


京都市東山区泉涌寺山内町27

JR奈良線「東福寺」駅から徒歩
総門まで15分、大門まで20分



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