鎌倉手帳(寺社散策)

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那須与一の扇の的
〜屋島古戦場〜


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那須与一
屋島合戦画帖


 1185年(元暦2年)の屋島の戦いで、平家の軍船に掲げられた扇の的を射落としたという那須与一。

 伝説によると・・・

 日暮れになり、源平両軍が引き始めます。

 すると、海上の平家の軍船から一艘の小船が近寄ってきます。

 小船から出てきた女性は、真っ赤な日輪を描いた扇を掲げています。

 『源平盛衰記』によると・・・

 源義経は、畠山重忠に扇を射るように命じますが、重忠は辞退。

 代りに那須為隆を推薦します。

 しかし、為隆も辞退。

 弟の那須与一を推薦します。

 そして・・・

 大役を任された与一は見事に扇を射落としたのでした。


 『平家物語』によると・・・

 酉の刻(午後6時頃)、海に一段(約11メートル)ほど馬を乗り入れた与一。

 扇の的までの距離は七段。

 北風が吹き、波は高く、船は上下に揺れ、扇は不安定にひらめいていた。

 沖では平家が船が並べ、陸では源氏軍が轡を並べて見物。

 目を閉じた与一は、

 「南無八幡大菩薩、我が国の明神、日光権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願わくはあの扇の真中を射させください。

 これを射損じたならば、弓を切り折り、自害して、人に再び顔を向けないつもりです。

 今一度、本国へ向かわせようとのお考えがあれば、この矢を外させ下さるな」

 と祈念。

 目を開けると、風も弱まり、扇も安定してきていた。

 鏑矢を弓につがえ、引き絞って、ひゆーっと放つ。

 音を浦一帯に響き渡らせながら飛んでいった鏑矢は、扇の要に的中。

 扇は舞い上がり、しばらく空中でひらめいた後、春風にもまれて、夕日の輝く海へと散っていったのだとか・・・



リンクボタン日の丸御旗〜源義経・北畠顕家・武田信玄・徳川家康が掲げた旗〜





〜那須与一の伝説〜
(屋島古戦場)

駒立岩
リンクボタン駒立岩
祈り岩
リンクボタン祈り岩

 駒立岩は、扇の的を射落とそうとする与一が足場を築いたという岩。

 祈り岩は、与一が扇の的を射落とすときに、祈りを捧げたという岩。









〜病気療養していた与一〜

那須与一の墓
リンクボタン那須与一の墓
(京都:即成院)
石山寺那須与一地蔵尊
リンクボタン那須与一地蔵
(大津:石山寺)

 屋島の戦いの前に病に倒れた与一は、伏見の即成院で療養していたのだという。

 石山寺には療養中の与一が信仰したという地蔵尊が置かれている。





〜鎌倉で行われていた那須与一祭〜

那須与一祭


 「鎌倉まつり」は、鎌倉を代表する観光行事。

 かつての鎌倉まつりでは、屋島の戦いでの那須与一の故事にならい、鎌倉弓矢会の会員が与一に扮して、船上に掲げられた扇を射落とすイベント「那須与一祭」が由比ヶ浜で行われていた。

 那須与一祭が終わると「いざ鎌倉の武者行列」が由比ヶ浜から鶴岡八幡宮へ向けて出陣したのだという。




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