源義経・北畠顕家・武田信玄・徳川家康が掲げた旗 |
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天皇の祖とされる天照大神は太陽神。 古代から日輪は天下統一の象徴。 平安時代も後半になって武家が台頭してくると、武将たちは朝廷の「御旗」にちなんで日の丸を掲げるようになります。 平家は「赤地金丸」、源氏は「白地赤丸」。 那須与一が屋島の戦いで射落としたのは、赤字に金の日の丸が描かれた扇。 源義経が壇ノ浦の戦いで掲げたのは、白地に赤の日の丸だったのだといいます。 現在の日の丸は、源氏が平家に勝利したため「白地に赤」となったという説があります。 |
弁慶と義経が出会ったという五条大橋。 千本目の太刀を奪いたい弁慶は義経(牛若丸)に襲いかかりますが・・・ その時、牛若丸が弁慶に投げつけたのは、日の丸が描かれた扇だったのだとか・・・ 「牛若丸は飛び退いて 持った扇を投げつけて 来い来い来いと 欄干の上へあがって 手を叩く」 |
1337年(建武4年)、後醍醐天皇の命を受けて鎌倉に攻め入った北畠顕家は、後醍醐天皇から日の丸御旗を賜ったと伝えられています。 北畠顕家は、後醍醐天皇が吉野山に興した南朝の公卿。 「風林火山」の旗印を用いたことでも知られています。 |
奈良県五條市には、堀家の日の丸が伝えられています。 堀家は後醍醐天皇に仕えた土豪で、日の丸は後醍醐天皇から賜ったものなのだとか。 |
山梨県甲州市の雲峰寺所蔵の「御旗」(みはた)は、日本最古とされる日の丸の旗。 河内源氏二代棟梁の源頼義が1056年(天喜4年)に後冷泉天皇より下賜されたものと伝えられています。 その後、頼義の三男で甲斐武田氏の祖・新羅三郎義光から武田家に代々伝えられました。 武田信玄や武田勝頼は、合戦などの重要な決定をしたときに「御旗」に誓いをたてたのだとか。 |
1575年(天正3年)の長篠の戦いでは、武田勝頼はもちろん先祖伝来の御旗を掲げますが・・・ 対する織田信長や徳川家康も日の丸を掲げていたのだといいます。 源氏が平家を滅ぼして以後、武将たちには天下統一の象徴である「白地赤丸」が受け継がれていったようです。 特に家康は、河内源氏新田氏の祖・新田義重を先祖と仰ぎ、源氏を称していました。 |
1604年(寛文2年)、徳川家康は7日間にわたって湯浴みのため熱海に逗留。 四代将軍家綱は、家康が入浴した熱海の湯を江戸城まで運ばせたそうです。 いつ頃からかは不明ですが、湯を運ぶ際には日の丸が掲げられていたそうです。 |
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