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若宮大路の下馬交差点から由比ヶ浜へと進むと鎌倉十橋の一つ「琵琶橋」。 滑川へ合流する手前の佐助川に架けられている。 かつて、鶴岡八幡宮の一の鳥居から二の鳥居の間が「琵琶小路」と呼ばれていたことからこの名が付いたと伝えられている。 「琵琶小路」という名称は、この道が外に彎曲していたため、それが琵琶の胴の曲線に似ていたことから付けられたのだという。 道が彎曲していたのは弁財天の祠があったからといわれている。 1182年(養和2年)、源頼朝が妻北条政子の安産祈願の目的で造営させた鶴岡八幡宮の参道若宮大路(段葛)を通す際に一直線の道となった。 その時に佐助川に琵琶橋が架けられ、弁財天は鶴岡八幡宮に移されたのだと伝えられている(旗上弁天社)。 かつては、擬宝珠のついた朱塗りの橋だったが、1992年(平成4年)に御影石の橋が架けられた。 |
※ | 現在、鎌倉国宝館に寄託されている「裸弁財天」は、1266年、舞楽師中原光氏が舞楽院に奉納したもの。 |
鎌倉十橋 鎌倉十橋MAP |
琵琶橋付近は、1213年(建暦3年)の和田合戦で、幕府方宍戸家政と朝比奈義秀の激戦が繰り広げられた場所なのだという。 家政は、八田知家の四男で、朝比奈義秀との戦いで討死にした。 近くの和田塚は、和田合戦の戦死者が葬られた所と伝えられている。 |
泉親衡の乱から和田義盛の挙兵まで〜和田合戦『吾妻鏡』〜 『吾妻鏡』が伝える和田合戦 |
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