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鶴岡八幡宮の参道若宮大路は、1182年(養和2年)3月15日、源頼朝が妻政子の安産祈願のために造営を始めたのだと伝えられている(同年8月12日、長男頼家が誕生。)。 曲がりくねっていた鶴岡八幡宮の社前の道をまっすぐにして、由比ヶ浜まで通じさせた。 その中央に一段高く造られたのが「段葛」。 若宮大路の造営と同じ時期に造られたものと考えられている。 段葛は、日本に唯一残されている遺構。 若宮大路造営工事は、源頼朝が直接指揮したため、北条時政や畠山重忠などの有力御家人が携わったという。 2014年(平成26年)11月4日から、参道を支える石積みのひび割れ修復と、立ち枯れが目立ち始めた桜の植え替えのため、平成の整備工事が実施され、2016年(平成28年)3月30日に竣功している。 |
若宮大路の歴史散策 鎌倉十井「琵琶橋」 |
二の鳥居 |
三の鳥居 |
造営当時は、鶴岡八幡宮から一の鳥居まで通じていたという段葛。 江戸時代には下馬までとなり、明治に入ると横須賀線開設にともなって二の鳥居までとなった。 現在の段葛は三の鳥居から二の鳥居までの約500m。 |
鶴岡八幡宮を中心とした街造り |
武家の都「鎌倉」のシンボル的存在だった鶴岡八幡宮。 源頼朝は、鶴岡八幡宮を内裏に見立て、平安京の朱雀大路を模して若宮大路を造営し、鶴岡八幡宮を中心とした街造りに取り組んだ。 一段高い段葛は、高貴な人が通るために造られたのだという。 |
「段葛」という名は、葛石を積み上げて造られたことから、そう呼ばれるようになった。 「置石」とも呼ばれ、今日でも町名として残されている。 |
遠近法が使われた道 |
段葛は遠近法が用いられた道。 参拝者に鶴岡八幡宮を遠くに見せるための仕掛けで、二の鳥居付近で4.5メートル、三の鳥居付近では2.7メートルと、鶴岡八幡宮に近づくほど道幅が狭くなっていく(鶴岡八幡宮からは同じ幅の一直線に見える。)。 また、段葛両側に築かれている土手は、鶴岡八幡宮に近づくほど低くなっている(石組みを見ると高さの違いがわかる。)。 |
二の鳥居付近 |
三の鳥居前 |
二の鳥居付近 |
三の鳥居付近 |
桜並木の段葛 |
今日では「桜の名所」として知られる段葛は、かつては何も植えられていない道だった。 明治に入ると松や梅の木が植えられ、桜の木が植えられたのは1918年(大正7年)の頃だった。 その後ツツジが植えられ、今日のような姿になったのだという。 平成の整備工事では、桜の木とツツジが植え替えられた。 248本あった桜は177本に減らされ、歩行路には、桜の根を守るための特殊な舗装が施されている。 |
段葛の桜 |
段葛のツツジ |
ツツジ |
サツキ |
ヒガンバナ |
雪 |
1973年(昭和48年)には「日本の桜名所100」、1986年(昭和61年)には「日本の道100」に選定されている。 |
上宮楼門前から |
十王岩から |
鶴岡八幡宮の上宮楼門前からは、由比ヶ浜まで一直線に延びる段葛と若宮大路を見ることができる。 天園ハイキングコースの十王岩からの眺望は「かながわ景勝50選」。 |
竣功式・通り初め |
整備工事前の段葛 |
鶴岡八幡宮の造営 鶴岡八幡宮の一の鳥居 鶴岡八幡宮の参道・・・段葛 若宮大路の散策 二の鳥居・三の鳥居と歴史遺産の段葛 源頼家の誕生 |
鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 |
鎌倉市雪ノ下2−1−31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
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