|
1180年(治承4年)、源頼朝によって由比郷から遷座された鶴岡八幡宮。 しかし、1191年(建久2年)3月4日の鎌倉大火によって焼失してしまう。 頼朝はすぐさま再建に取りかかり、若宮の再建とともに大臣山の中腹を削って本宮(上宮)を造営し、1191年(建久2年)11月21日、改めて京都の石清水八幡宮の祭神を勧請した。 本宮は、町で起こった火災から防ぐため、大臣山の中腹に造営されたのだと考えられている。 毎年、12月16日に行われている「御鎮座記念祭」は、頼朝が催した石清水八幡宮の「神霊を迎える儀式」(遷宮の儀)を再現したもの。 現在の本宮は、1828年(文政11年)、江戸幕府十一将軍徳川家斉の命により水野忠成を奉行として竣工。 1923年(大正12年)の関東大震災で倒潰したが修造された(国重文)。 |
応神天皇(おうじんてんのう) 比売神(ひめがみ) 神功皇后(じんぐうこうごう) |
鶴岡八幡宮の遷宮 鶴岡八幡宮の造営 建久二年の鎌倉大火 |
祭神の応神天皇は「八幡神」と呼ばれる。 神功皇后は応神天皇の母。 仏教保護の神として「八幡大菩薩」という神号が与えられた。 奈良の手向山八幡宮は、東大寺の守護神として創建されている。 八幡大菩薩の本地(本来の仏)は阿弥陀如来といわれ、鎌倉大仏(銅造阿弥陀如来坐像)は鶴岡八幡宮の本地物として造立されたともいわれる。 |
全国で八幡神を祀る神社の数は、稲荷神社に次ぐ。 八幡神社の総本社は、大分県にある宇佐神宮。 |
京都の石清水八幡宮は、南都大安寺の僧・行教が八幡神のお告げをうけて勧請したのがそのはじまりといわれる。 源氏は氏神として信仰し、源義家は石清水八幡宮で元服して「八幡太郎義家」を名乗った。 |
壺井八幡宮 (羽曳野市) |
誉田八幡宮 (羽曳野市) |
羽曳野市は河内源氏発祥の地。 壺井八幡宮は、源頼義が河内源氏の本拠地に創建した社。 応神天皇陵古墳の南に鎮座する誉田八幡宮は、日本最古の八幡宮と称される神社で、国宝の塵地螺鈿金銅装神輿は、源頼朝の寄進。 2019年(令和元年)7月、応神天皇陵古墳は、「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。 |
本宮回廊内にある武内社(たけうちしゃ)は、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五代の天皇に仕えたという武内宿禰(たけうちのすくね)を祀っている。 1226年(嘉禄2年)の創建と伝えられている。 『古今著聞集』によると、二代執権北条義時は、武内宿禰の生まれ変わりなのだとか・・・ |
武内宿禰の生まれ変わり?〜北条義時の出生伝説〜 |
1289年(正応2年)に鎌倉を訪れた後深草院二条は、その著書『とはずがたり』に「海をはるかに見渡すことができるので、石清水八幡宮より見どころがある」と書いている。 若宮大路の一の鳥居の先には海が見える。 |
楼門に掲げられた額の「八」の字は、神聖な神の使いとされている二羽の鳩で表現されている。 石清水八幡宮の大鳥居と額と同じく、平安時代の能書家・藤原行成の字を写したものかもしれない。 |
源氏の白鳩は、壇ノ浦の戦いで平家一門が入水したことを知らせたのだとか・・・ ただ、源頼朝の時代は、めでたい事が起こる前ぶれのような形で登場していた鳩だが、頼朝の死後は、不吉の前ぶれのような形で鳩が登場するようになる。 |
源氏軍に吉事の前兆〜屋島・壇ノ浦の戦いの伝説〜 鶴岡八幡宮の巫女の予言から始まった!〜吾妻鏡の物語と比企能員の変〜 源実朝が暗殺された日 |
鶴岡八幡宮との関係が深い信濃善光寺の額にも鳩が・・・ |
1219年(建保7年)1月27日、右大臣拝賀を終えた三代将軍源実朝は、大石段にさしかかった所で甥の公暁に襲われたのだという(参考:源実朝の暗殺)。 |
その公暁が隠れていたのが大銀杏だったという伝説も残されている。 |
源実朝が暗殺された日、北条義時は楼門の前に大倉薬師堂(覚園寺)の戌神将が白い犬に姿を変えて現れたことで命を救われたのだという。 |
鶴岡八幡宮大石段と源実朝暗殺〜その時、北条義時は現場にいた!〜 |
源頼朝も使用した本小松石〜頼朝船出の地:真鶴〜 |
本宮(上宮)は、広い回廊が巡らされているのが特徴。 現在、この回廊には神輿7基(本宮3基・若宮4基)が安置され、鶴岡八幡宮の古神宝が陳列された宝物殿としても利用されている。 本宮の神輿3基は、9月の神幸祭で二の鳥居まで渡御する。 |
応神天皇 |
比売神 |
神功皇后 |
八王子市の梶原八幡神社は、1191年(建久2年)6月、梶原景時が鶴岡八幡宮の古神体を譲り受けて創建したのだと伝えられている。 |
建久2年の鎌倉大火・・・鶴岡八幡宮が灰燼と化す 御鎮座記念祭 |
鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 |
鎌倉市雪ノ下2−1−31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|