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誉田八幡宮は、欽明天皇の命により応神天皇陵古墳の前に社殿を建立し、八幡大菩薩を勧請したことに始まるとされ、そのため日本最古の八幡宮と称されている。 主祭神は、応神天皇(誉田別尊(こんだわけのみこと))。 欽明天皇が参籠した際、八幡大菩薩が現れたことから歴代天皇が行幸し、聖徳太子、弘法大師、行基、菅原道真などが参籠したという。 鎌倉時代には、源氏の氏神である八幡神を祀る社として信仰され、1196年(建久7年)には、源頼朝が社殿、伽藍を修復した。 しかし、南北朝から戦国期にかけては度重なる兵火によって荒廃。 その後、豊臣氏によって社殿が再建され、江戸幕府も社殿の修復を行っている。 江戸時代まで誉田八幡宮から古墳後円部の頂上の宝殿まで石段が続き参拝されていたのだという。 |
※ | 拝殿は、豊臣秀頼が1606年(慶長11年)、片桐且元に命じて再建されたものだが、完成前に大阪の役が勃発し、未完成のまま豊臣氏が滅亡した。 その後、徳川家光が工事を継続させ、寛永年間に完成したものと考えられている。 |
南大門は、かつてあった神宮寺「護国寺」の名残。 |
国宝の神輿は源頼朝の寄進。 |
放生橋を渡ると応神天皇陵古墳。 |
応神天皇陵古墳は、仁徳天皇陵古墳に次ぐ全国第2位の大きさの前方後円墳。 誉田御廟山古墳または誉田山古墳とも呼ばれる。 拝所は北側の前方部正面。 反対の後円部南側に誉田八幡宮が鎮座している。 2019年(令和元年)7月6日、応神天皇陵古墳・仁徳天皇陵古墳をはじめとする49基の墳墓群「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録された。 応神天皇は、幼少の頃を誉田の地で過ごしたといわれれいる。 |
壺井八幡宮 (河内源氏の氏神) |
通法寺跡 (源氏三代の墓) |
鎌倉と源氏:源氏ゆかりの地を本拠とした頼朝 |
大阪府羽曳野市誉田3−2−8 近鉄南大阪線「古市駅」下車徒歩10分 |
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