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誉田八幡宮付近は、南北朝期から戦国期にかけて再三にわたって戦いの舞台となった。 1615年(慶長20年)5月6日、大坂夏の陣「道明寺・誉田の戦い」では、大坂方の薄田兼相(すすきだかねすけ・隼人正)が陣を構え、この地より出撃して討死した。 真田信繁(幸村)も付近に陣を構えている。 この戦いで後藤基次(又兵衛)をはじめとする討死者を出した豊臣軍は、退却を決定。 殿(しんがり)を務めた信繁は、伊達政宗隊と奮戦し、豊臣軍撤収に成功したのだという。 しかし、翌7日、信繁は天王寺・岡山の戦いで討死。 さらに8日、豊臣秀頼が淀殿、大野治長とともに大坂城で自刃し、豊臣家が滅亡した。 |
大阪府羽曳野市誉田3−2−8 近鉄南大阪線「古市駅」下車徒歩10分 |
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