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鶴岡八幡宮に伝わる古神宝類(国宝)です。 ほとんどが鎌倉国宝館に寄託されていますが、上宮回廊の宝物館や横浜の神奈川県立歴史博物館でも模造品を観ることができます。 |
源頼朝が後白河法皇から下賜され、北条政子が化粧道具入れとして愛用したものと伝えられている。 同じく政子が愛用したとされる「沃懸地籬菊螺鈿蒔絵手箱」(通称:政子の手箱)は、ウィーン万国博覧会に出品し、その帰りに運搬船の沈没により失われたが、残された資料や絵図をもとに人間国宝の北村昭斎によって復元されている。 鎌倉国宝館に寄託。 |
本来は2張あったが、1807年(文化4年)の火災で1張を焼失してしまったのだという。 『新編相模風土記稿』は、源頼義が石清水八幡宮を勧請した際に奉納したものと伝えている。 鎌倉国宝館に寄託。 |
鏑矢13隻、尖矢13隻、丸根4隻、計30隻が伝えられている。 2腰の「平胡なぐい」に15隻ずつ盛ったものと考えられている。 鎌倉国宝館に寄託。 |
「やなぐい」には矢を15隻ずつ盛ったと考えられる。 『新編相模風土記稿』は、源頼義が石清水八幡宮を勧請した際に奉納したものと伝えている。 鎌倉国宝館に寄託。 |
一般には「衛府(えふ)の太刀」という名で知られる。 「衛府の太刀」とは、宮中警備の衛府の役人が使用したもので、鎌倉時代以降は儀式用に製作されるようになった。 『新編相模風土記稿』は、源頼朝が帯びたものと伝えている。 鎌倉国宝館に寄託。 |
表は、白の小葵文の浮織地に浅黄・萌黄・薄紫・濃色の4色で、各段ごとに交互に向きをかえる鳳凰を縫取織で表した二重織物。 裏は、萌黄の綾織地で大きく向蝶の菱文を小さな茶花菱でつなぐ文様。 祭神の神功皇后が使用したものとも伝えられている。 |
徳川幕府八代将軍吉宗が、1736年(元文元年)の修理造営の際に奉納したものと伝えられている。 |
舞楽面 (国重文) |
菩薩面 (国重文) |
鶴岡八幡宮には、舞楽面が5面、菩薩面が1面伝えられ、源頼朝が東大寺の大仏殿の落慶供養に参列した際、手向山八幡宮から贈られたものと伝えられている。 (鎌倉国宝館) |
東大寺 |
手向山八幡宮 |
南都焼討と東大寺の再興~重源と源頼朝~ |
鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 |
鎌倉市雪ノ下2-1-31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
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