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東大寺の大仏殿の正式名称は「東大寺金堂」。 聖武天皇の発願による盧舎那仏(大仏)の鋳造が終わった後に建設が開始され、758年(天平宝字2年)に完成した。 1180年(治承4年)には平重衡の兵火によって、1567年(永禄10年)には松永久秀の兵火によって焼失したが、その都度再建されている。 現在の大仏殿は1709年(宝永6年)に落慶した建物で、幅57.5m、奥行き50.5m、棟までの高さ49.1m。 創建当初から比べると、約86mあった幅が3分の2程度の規模に縮小されているというが、世界最大級の木造建築物で、国宝に指定されている。 (参考:大仏殿の模型) |
1567年(永禄10年)の松永久秀の兵火後、大仏殿の諸仏再興の最後に残ったのが四天王像。 広目天と多聞天は完成したが、持国天と増長天は頭部のみが残された。 |
東大寺の記録によれば、脇侍の虚空蔵菩薩・如意輪観音と四天王像は、運慶とその一族によって造立されたものだったというが、1567年(永禄10年)の松永久秀の兵火によって焼失してしまったという。 |
『吾妻鏡』によれば、平重衡の焼討によって焼失した東大寺の再興に助力していた源頼朝は、1194年(建久5年)、大仏殿内の二菩薩と四天王の造像を御家人の負担としている。 観音菩薩像・宇都宮朝綱、虚空蔵菩薩像・中原親能、増長天像・畠山重忠、持国天像・武田信光、多聞天像・小笠原長清、広目天像・梶原景時。 |
1567年(永禄10年)の松永久秀の兵火後の東大寺を復興させたのは公慶。 1660年(万治3年)、東大寺大喜院に入寺した公慶は、露座となって大雨に打たれている大仏を見て大仏殿の再建を決意したのだという。 1691年(元禄4年)、大仏の修理を終わらせた公慶は、1693年(元禄6年)、五代将軍徳川綱吉とその母桂昌院に拝謁。 大仏殿の再建は徳川幕府の援助のもとで行われた。 |
本尊の盧舎那仏(大仏)の台座には28枚の蓮弁がある。 その一つ一つには、釈迦像・蓮華蔵世界・諸天界・須弥山世界が毛彫りされている。 |
大仏殿北東の柱に開けられた穴は、邪気を逃すように開けられているのだとか(北東は鬼門)。 |
大仏殿の正面の燈籠は国宝。 銅燈籠では、我が国最大最古のもの。 笙(しょう)・横笛・銅跋子(どうばつし)・尺八を奏する音声菩薩が浮き彫りされている。 |
大仏殿の東西には、七重塔(東塔・西塔)が配されていた。 2024年(令和6年)、創建時の東塔の高さが68メートルと特定された。 |
南都焼討と東大寺の再興〜重源と源頼朝〜 奈良の大仏と鎌倉の大仏 東大寺大仏殿の模型 (かつての東大寺大仏殿) 東大寺再建の勧進状 東大寺の再興に尽力した陳和卿 |
東大寺は、聖武天皇が建立した寺。全国に設置された国分寺の総本山として信仰された。 本尊は奈良の大仏として知られる「銅造盧舎那仏坐像」。 |
奈良県奈良市雑司町406−1 JR大和路線・近鉄奈良線「奈良駅」から市内循環バス「大仏殿春日大社前」下車徒歩5分 近鉄奈良駅から徒歩約20分 |
東大寺は世界文化遺産 (古都奈良の文化財) |
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