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貴徳鯉口 (きとくこいぐち) |
貴徳番子 (きとくばんし) |
散手 (さんじゅ) |
二ノ舞 咲 (にのまい えみ) |
鶴岡八幡宮に伝わる5面の舞楽面(国重文)。 もとは21面の舞楽面があったといわれている。 『吾妻鏡』によれば、1189年(文治5年)3月3日に鶴岡八幡宮で行われた上巳の節句の法会では、源頼朝出席のもと、舞楽、流鏑馬(15騎)、相撲(10番)が奉納されている。 当初催された舞楽は、伊豆山や箱根の児童による童舞だったが、1193年(建久4年)3月3日に奉納された舞楽では、鶴岡八幡宮別当・供僧等の門弟や御家人の子息が奉仕している。 5面の内、陵王、貴徳鯉口、貴徳番子、散手の4面は、1195年(建久6年)に東大寺大仏殿の落慶供養に参列した源頼朝が、鎮守八幡宮(手向山八幡宮)から贈られたものと伝えられている。 |
金沢の瀬戸神社の舞楽面は源実朝が愛用したものとされ、陵王面は鶴岡八幡宮に伝えられる面と同形式のものだという。 |
舞楽面ととも伝えられる菩薩面。 舞楽面と同じく源頼朝が東大寺の大仏殿の落慶供養に参列した際、手向山八幡宮から贈られたものと伝えられている。 もとは12面の菩薩面があったというが、現存しているのはこの1面のみ。 (参考:鎌倉国宝館) |
東大寺 |
手向山八幡宮 |
南都焼討と東大寺の再興〜重源と源頼朝〜 |
今日では、5月5日に行われる菖蒲祭で舞楽が奉納されている。 |
御霊神社の「面掛行列」は、鶴岡八幡宮の「舞楽面の面掛行列」に倣ったものといわれている。 |
鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 |
鎌倉市雪ノ下2−1−31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
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