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5月5日は「端午の節句」。 「菖蒲の節句」とも呼ばれ、高い香りを放つ「菖蒲」や「よもぎ」を供えて邪鬼を祓い無病息災を祈願します。 鶴岡八幡宮では、神饌調理の器に菖蒲の葉が敷かれて盛り付けされ、御神酒の徳利には菖蒲の葉がさし入れられて供えられます。 菖蒲祭では、延命長寿の祝詞が奏され、舞楽が奉納されます。 |
5月5日 午後1時00分〜 |
「菖蒲」は、武道・武勇を重んじる「尚武」(武を尊ぶ)に通じ、「菖蒲の節句」は、男児の誕生と成長を祝う「尚武の節句」でもあります。 『吾妻鏡』には、1187年(文治3年)5月5日、鶴岡八幡宮で神事が行われ、北条政子が参拝したことが記されています。 これが現在の「菖蒲祭」。 源頼朝の御所の屋根にも魔よけの菖蒲が葺かれたようです |
菖蒲の長い根を贈り合う風習があったのだとか。 紫式部は小少将の君から菖蒲の根を贈られているようです。 |
紫式部の歌〜菖蒲の歌:小少将の君と紫式部の贈答歌〜 |
端午節会(端午の節句)は、平安時代の宮中で盛んに催され、清少納言は『枕草子』に「節供は5月に及ぶものはない」と記し、紫式部は『源氏物語』に描いています。 |
「六日の菖蒲」とは、時機に遅れて役に立たないことのたとえ。 菖蒲は5月5日の端午の節句に用いるもので、5月6日では間に合わない・・・。 『平家物語』には、屋島の戦いで遅れて到着した梶原景時が源義経に「六日の菖蒲」と嘲笑されたことが語られています(参考:逆櫓の論争)。 |
「舞楽」は、宮中や社寺の儀式に際して行われる仮面劇です。 『吾妻鏡』には、鶴岡八幡宮でも盛んに行われた様子が記されています。 |
鶴岡八幡宮には、当時の舞楽面が五面伝わっていて鎌倉国宝館で観ることができます。 |
〜東大寺の鎮守手向山八幡宮 から贈られた菩薩面〜 |
鶴岡八幡宮に伝えられている「菩薩面」は、源頼朝が東大寺の大仏殿の落慶供養に参列した際、手向山八幡宮から贈られたものと伝えられています。 舞楽面として使用されていたのではないかと推測されています。 |
平安時代の宮中では、端午の節会に打毬が行われていたのだという。 打毬は、雅楽や舞楽にも通じ、競技中は「打毬楽」(たぎゅうらく)という伴奏曲が演奏されていたのだという。 |
打毬〜端午の節会の宮中行事と源氏物語〜 |
菖蒲祭の日は、鶴岡八幡宮の敬老会の日でもあります。 八幡神の使いとされる鳩に因んだ鳩杖と御守り(80歳以上)、緋の座布団(90歳以上)が贈られます。 |
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