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鎌倉時代に栄えた六浦の海の神。 古代より、人々によって神が祀られていた聖地だったと考えられ、瀬戸明神が三島から石に乗って出現したという飛石の伝説も残されている(金龍院に残されている金沢四石「飛石」の伝説)。 社伝では、1180年(治承4年)、鎌倉に入った源頼朝が信仰していた三嶋大社を勧請したとされ、現在の瀬戸神社はそれを起源としているという。 以後、北条氏、足利氏、後北条氏によって保護され、徳川家康からは100石の朱印地を与えられた。 |
祭神: | 大山祇命 |
上行寺の東の丘の上にある上行寺東遺跡は、瀬戸神社の神宮寺として源頼朝と文覚によって建立された浄願寺の跡と推定されている。 また、洲崎の龍華寺は浄願寺を起源としていると伝えられている。 |
上行寺東遺跡 |
龍華寺 |
瀬戸神社の舞楽面は、三代将軍源実朝が愛用していたもので、1219年(承久元年)、実朝が暗殺されると、母北条政子によって瀬戸神社に奉納されたのだと伝えられている。 江戸末期、水戸の徳川斉昭はこの面を借用し、返還する際に桐箱を新調したのだとか。 2000年(平成12年)、鎌倉時代初めの頃の舞楽面として国の重要文化財に指定されている。 特に陵王面は鶴岡八幡宮の陵王面とほぼ同じ形式のもの。 抜頭面の裏には運慶が彫ったという銘があるが、運慶作とは判定できないのだという。 ただ、慶派周辺の仏師によるものであるこのは間違いないらしい。 |
陵王 |
抜頭 |
「わたつみの瀬戸の社の神垣に願ひぞみつる潮のまにまに」 源実朝が詠んだ歌と伝えられている。 |
吽形像 |
阿形像 |
拝殿の両脇壇に安置されているのは守門神像。 武官の服装をした一対の守門神像で鎌倉時代末期から南北朝期の造立と考えられ、横浜市の有形文化財に指定されている。 また、中世神像の七躯は、南北朝期から室町時代の作と考えられ、横浜市の有形文化財に指定されている。 |
瀬戸神社社頭の海上に浮かぶ島には、北条政子が近江国の竹生島の弁財天を勧請したと伝えられている。 島の形が琵琶に似ていることから「琵琶島弁財天」と呼ばれた。 |
横浜市金沢区瀬戸18-14 京急「金沢八景駅」から徒歩 |
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