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源頼朝と文覚によって六浦山中に建立された浄願寺が龍華寺のはじまりとされている。 焼失した浄願寺を1499年(明応8年)、本尊弥勒菩薩の夢告によって再興されたのが龍華寺の起源となる。 真言宗御室派(総本山:仁和寺)。 創建したのは、浄願寺住持の融弁で、『金沢龍源寺略縁起』によれば、洲崎にあって廃寺となった光徳寺と、兵火によって焼失した浄願寺を併合して龍華寺を創建したと伝えている(龍源寺=龍華寺)。 浄願寺は、源頼朝が三嶋大社を勧請したという瀬戸神社の神宮寺として建立されたと考えられ、上行寺東遺跡の建物遺構は浄願寺の跡ではないかと推定されている。 鎌倉十二所にある金沢街道沿いの墓地は、明王院の歴代住職の墓と考えられるが龍華寺によって管理されているらしい(参考:大慈寺跡)。 称名寺赤門前の薬王寺は龍華寺の末(源範頼ゆかりの寺)。 |
上行寺東遺跡 |
瀬戸神社 |
梵鐘は、天文10年(1541年)の銘が刻まれたもの。 銘文にある天文より以前に鋳られたと思われる鋳ばなしのままであることから、天文10年に龍華寺の鐘として銘文が刻まれたとも考えられている。 神奈川県の重要文化財に指定されている。 |
融弁が浄願寺を再興して龍華寺を創建した1499年(明応8年)に、この像も造立されたと考えられている。 横浜市の有形文化財に指定されている。 |
もとは、廃寺となった地福寺に安置されていた像で、胎内文書により、1524年(大永4年)に仏師上総法眼によって造立されたことが判明している。 上総法眼は鎌倉仏師で、江の島の八臂弁財天の彩色や鎌倉大長寺の北条氏綱夫人坐像の造立をしたことで知られている。 横浜市の有形文化財に指定されている。 |
横浜市金沢区洲崎9−31
京急「金沢八景駅」から徒歩10分 |
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