|
鶴岡八幡宮の本宮(上宮)楼門に掲げられた額の「八」の字は、神聖な神の使いとされている二羽の鳩で表現されている。 源氏の幟旗に書かれた「八幡大菩薩」の「八」の字も鳩で描かれていた。 神仏混淆であったため「八幡宮」の下に「寺」という字があったが、明治の神仏分離によって消されている。 |
石清水八幡宮の一の鳥居の「八幡宮」の額は、一条天皇の勅により藤原行成が書いたものを・・・ のちの1619年(元和5年)、松花堂昭乗が行成の筆跡のとおりに書写したものだという。 行成は、平安時代の能書家で「三蹟」の一人。 書道世尊寺流の祖。 藤原道長に仕え、一条朝で活躍した四納言の一人にも数えられた。 鶴岡八幡宮の額の字も行成の字を写したものなのかもしれない。 |
鎌倉の名産品・豊島屋の「鳩サブレー」は、この扁額の鳩を真似ている。 |
東大寺の鎮守手向山八幡宮の絵馬も二羽の鳩。 |
源氏の白鳩は、壇ノ浦の戦いで平家一門が入水したことを知らせたのだとか・・・ ただ、源頼朝の時代は、めでたい事が起こる前ぶれのような形で登場していた鳩だが、頼朝の死後は、不吉の前ぶれのような形で鳩が登場するようになる。 |
源氏軍に吉事の前兆〜屋島・壇ノ浦の戦いの伝説〜 鶴岡八幡宮の巫女の予言から始まった!〜吾妻鏡の物語と比企能員の変〜 源実朝が暗殺された日 |
善光寺の山門に掲げられている額の文字には、5羽の鳩が隠されている。 |
円覚寺を開いた無学祖元(仏光国師)は、金色の龍と青い鳩を連れた鶴岡八幡宮の神に日本で仏法をひろめてほしいと頼まれたのだとか。 |
鶴岡八幡宮 |
本宮(上宮) |
鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 |
鎌倉市雪ノ下2−1−31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|