1181年(養和元年)5月13日、源頼朝は前年遷宮を行った鶴岡八幡宮の仮の宮を建て直すため、土肥実平と大庭景義を奉行として材木の調達を開始しました。 7月3日、鎌倉には技術を持った工匠がいないため、武蔵国浅草の大工(字(あざな)郷司)を召すよう命令を下しています。 7月8日、郷司が到着し工事が開始されます。 まず、御神体を仮殿に移すための儀式が大庭景義の担当によって行われ、大庭御厨の巫女が召し出され奉仕したといいます。 7月20日には上棟式を迎え、8月15日には梶原景時を奉行として新造の正殿に御神体が納められました。 |
上棟式では、頼朝が社頭の東側の仮屋に着座、その南北に御家人が着座し、大工に褒美の馬が与えられました。 そこで頼朝は、棟梁に与える馬を引く役を義経に命じます。 しかし、義経が快く引き受けなかったため頼朝の不興をかったと伝えられています。 源義経の大工の馬事件 |
上棟式の式典後、安房国で三浦義澄に討たれた長狭常伴の郎党・左中太常澄が捕えられ、翌日、片瀬で処刑されています。 頼朝を討とうとした左中太常澄 |
平清盛の死 |
政子懐妊・頼家の誕生 |
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