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源頼朝がまだ伊豆蛭ヶ小島に配流中の身であったころ、「かくれ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ、頼朝に挙兵を勧めたという。 のちに、鎌倉に武家政権を築き上げた頼朝は、「かくれ里」と呼ばれるこの地に祠を見つけ、御家人畠山重忠に命じて社殿を建立させた。 それが佐助稲荷神社の始まり。 頼朝が武家政権を築き上げたことから「出世稲荷」とも呼ばれている。 建立時期は建久年間(1190〜1199年)と考えられているが詳細は不明。 1909年(明治42年)までは鶴岡八幡宮の末社に加えられていた。 2月の「初午祭」では、春の農作業開始の前に豊作が祈願され、鎌倉神楽が奉納される。 |
宇迦御魂命
大己貴命 佐田彦命 大宮女命 事代主命 |
伏見稲荷大社は、全国の稲荷神社の総本社。 清少納言や源頼朝が信仰した農耕の神・疫病を鎮める神。 |
2019年9月8日深夜から9日未明にかけての台風15号による倒木のため、佐助稲荷神社の本殿が全壊してしまいました。 2020年10月に小さな殿社が置かれましたが、再建はまだ先になりそうです。 |
参道 |
縁結びの観音像 |
霊狐泉 |
魚屋源十朗 |
霊狐泉は稲荷山の麓の田畑を潤した水。 源十朗はダイコンを作って大金持ちになったのだとか・・・ |
石祠群 |
国清寺跡 |
初午祭 |
紅葉・黄葉 |
源頼朝は、1159年(平治元年)の平治の乱で初陣。 一時、「右兵衛権佐」(うひょうえごんのすけ)に任ぜられたが、平清盛に敗れて解官。 伊豆国の蛭ヶ小島に流された。 その後、頼朝は1190年(建久元年)に「権大納言・右近衛大将」に任じられるまでは「前右兵衛権佐」であったことから、御家人からは「佐殿」(すけどの)と呼ばれていた。 佐助稲荷神社の「佐助」という名には、「佐殿を助けた」という意味があるという。 参考までに、鶴岡八幡宮の頼朝を祀る白旗神社には「武衛殿」の額が掲げられているが、「武衛」は兵衛府の唐名で、頼朝の最初の官職「右兵衛権佐」を意味している。 |
佐助稲荷神社の裏山は、葛原ヶ岡・大仏ハイキングコースへ通じています。 2019年9月8日深夜から9日未明にかけての台風15号による倒木のため、通行禁止になっているかもしれません。 |
鎌倉市佐助2−22−12 鎌倉駅西口より徒歩15分 |
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