鎌倉手帳(寺社散策)

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鎌倉権五郎景政
〜御霊神社の祭神〜

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源義家と鎌倉権五郎景政


 御霊神社の祭神:鎌倉権五郎景政(景正とも書く)は、平安時代後期に活躍した桓武平氏の流れをくむ武将(平良文の五代の孫)。

 1069年(延久元年)誕生。

 父景成が鎌倉を領し「鎌倉氏」を名乗る。

 16歳で源義家に従って「後三年の役」に出陣し、右目を射られながら奮戦したという伝説が残されている。

 寒川町、茅ヶ崎市、藤沢市にまたがる大庭御厨を開発し、伊勢大神宮に寄進した。

 源頼朝の挙兵に敵対した大庭景親長尾定景梶原景時らは鎌倉氏の一族。


上の写真は、小動神社天王祭で使用される山車人形「八幡太郎義家と景政」



大庭御厨
リンクボタン大庭御厨
皇大神宮
リンクボタン皇大神宮
(大庭御厨の総鎮守)

 皇大神宮は大庭御厨の総鎮守として崇敬された社。


御嶽神社
リンクボタン御嶽神社
(藤沢市西俣野)
神明社
リンクボタン神明社
(藤沢市西俣野)

 御嶽神社神明社は、大庭御厨の俣野郷にある景政ゆかりの社。



リンクボタン高望王流桓武平氏










☆伝説!景政の武勇伝☆

 鎌倉権五郎景政は、源義家に従い後三年の役に出陣し、目に矢をうけながらも勇敢に戦った。

 その矢を抜こうとした三浦為継が、景政の顔に足をかけたため、「足で顔を踏むとは何事か!」と叱責したと伝えられている。

 景政の武勇伝により、坂ノ下の御霊神社は「目の神様」として慕われている。



鎌倉権五郎景政の武勇伝

右目に矢を受けながらも奮戦した景政と、景政の右目を射た鳥海保則の子孫の伝説。


大庭御厨を伊勢神宮に寄進した鎌倉権五郎景政(okadoのブログ)



九代目市川團十郎『暫』像

 浅草寺境内にある九代目團十郎の暫像は、団十郎が演じたの鎌倉権五郎景政の銅像。

 『暫』(しばらく)は、歌舞伎の演目で歌舞伎十八番の一つ。





〜各地にある景政ゆかりの社〜

村岡御霊神社
リンクボタン村岡御霊神社
(藤沢市)
川名御霊神社
リンクボタン川名御霊神社
(藤沢市)

 村岡御霊神社は、鎌倉氏の先祖・平良文が創建した社。

 良文の屋敷は、村岡御霊神社の近辺にあったとされ、景政もそこに住んでいたものと考えられている。

 川名御霊神社は村岡御霊神社の分社。


長尾御霊神社
リンクボタン長尾御霊神社
(長尾城址)
梶原御霊神社
リンクボタン梶原御霊神社
(鎌倉)

 長尾御霊神社長尾定景、梶原御霊神社は梶原景時ゆかりの社。

 長尾氏も梶原氏も鎌倉氏の一族。


御霊神社
リンクボタン御霊神社
(茅ヶ崎市)
神明大神宮
リンクボタン神明大神宮
(茅ヶ崎市)

 源頼朝落馬伝説の地・茅ヶ崎市にある御霊神社には、源義経が合祀されている。

 神明大神宮は、景政の曽孫で懐島を領した大庭景義(景能)が伊勢神宮を勧請して建立した社。 


湯河原・五郎神社
リンクボタン五郎神社
(湯河原町)

 湯河原町の五郎神社には、影政が「鍛冶の神」だったという伝承がある。









御霊神社
リンクボタン御霊神社

 坂ノ下の御霊神社は、鎌倉権五郎景政を祀る。
 景政の命日(9月18日)に行われる例祭では、神奈川県の民俗文化財に指定されている「面掛行列」が行われる。


鎌倉市坂ノ下4−9
0467(22)3251

江ノ電「長谷駅」から徒歩5分


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