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満昌寺は、1194年(建久5年)、源頼朝が三浦義明の追善のために建立した寺院。 その後、天岸慧広が入山し、臨済宗建長寺派として中興された。 義明は、頼朝が挙兵した1180年(治承4年)、畠山重忠と戦い、衣笠城で89歳でこの世を去った(参考:小坪合戦と衣笠合戦)。 木造三浦義明坐像は国の重要文化財。 裏山には義明の首塚といわれる宝篋印塔がある。 |
開山 | 天岸慧広 |
本尊 | 華厳釈迦如来 |
中興開山の天岸慧広(てんがんえこう)は、円覚寺開山の無学祖元に師事し、報国寺の開山となった高僧。 満昌寺に伝わる木造天岸慧広坐像は、市指定文化財。 |
それぞれの石橋山:三浦一族 それぞれの石橋山:小坪合戦と衣笠合戦 |
この鳥居は、三浦義明の孫和田義盛が、1212年(建暦2年)に境内鎮護のために建てた御霊明神社のもの。 |
「義明の坐像」が安置されている。 鎌倉末期、または、室町時代の作といわれ、国の重要文化財。 |
宝物殿の背後は、「義明の首塚」といわれる御廟。 中央の宝篋印塔が義明のもので、右側の五輪塔は義明の妻の墓と伝えられている。 |
宝篋印塔左手の観音種子板碑は、秩父に産する緑泥片岩製のもの。 この他、「元応二年庚申二月日」の銘がある阿弥陀三尊種子の板碑と釈迦三尊種子の板碑も残されている。 この2基は双式板碑と呼ばれ、2基で1対であると考えられている。 いずれも廃寺となった薬王寺のやぐらにあったもの。 |
来迎寺 |
三浦義明墓 |
鎌倉材木座の来迎寺は、源頼朝が三浦義明の菩提を弔うために建立した真言宗の能蔵寺が始まり。 |
神奈川県横須賀市大矢部1−5−10 JR衣笠駅よりバス 「満昌寺」バス停下車 |
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