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三浦義澄の墓がある薬王寺は、和田義盛が父義宗と叔父義澄の菩提を弔うために建立した寺。 1876年(明治9年)に廃寺となり、現在は義澄の墓のみが残されている。 中央の変形五輪塔のような石塔が義澄の墓と伝えられ、最下段の石には胎蔵界の種子(梵字)が刻まれている。 義澄は、三浦大介義明の次男。 1180年(治承4年)6月、源頼朝挙兵の2ヶ月前に千葉胤頼(千葉常胤の6男)とともに頼朝のもとを訪れ、京の状況を報告し挙兵を勧めたと考えられている。 1200年(正治2年)正月23日死去(享年74)。 |
薬王寺の山門があったとされる場所には、「山門及び駒繋石」の碑が建てられている。 本尊の薬師如来像は、満昌寺に移され、かつて裏山にあったやぐらからは板碑も発見されている(満昌寺で保管)。 |
横須賀市大矢部1−13−5 JR衣笠駅よりバス 「満昌寺」バス停下車 |
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